方言と地方を復権させるか、藤井の「風」(2)
トン汁とブタ汁


トン汁とブタ汁

 ところで「豚汁」と書いて、何と読むだろうか。トン汁? ぶた汁?
恐らく「トン汁」と言う人の方が多いのではないだろうか。シルバー世代以下の若い世代は特に。
 定食屋に入ると九州でも、岡山でも、高速道路のSAでも必ず「トン汁」と言われる。私の周辺でもほとんどの人が「トン汁」と言う。なぜ「ぶた汁」ではなく「トン汁」と言うのか。私が子供の頃は「ぶた汁」と言っていた。それなのにいつから「トン汁」に変わったのか。
 確かに「豚」という字は「ぶた」とも「トン」とも読むから「豚汁」と書いて「トン汁」と呼んでもおかしくはないし、逆でも同じことがいえる。

 では、どちらの読み方が正しいのか。どちらも正しい。それなら「ぶた汁」でも「トン汁」でもいいではないか、と言われそうだが、よくない。

 なぜ、よくないのか。それは元々関西以西は「ぶた汁」と言っていたからで、「トン汁」と言うのは関東だからだ。言うなら「トン汁」という言い方は関東地方の方言である。それがいつの間にか関西から九州まで「トン汁」と言い出した。
 それは関西以西の人間が関西の方言である「ぶた汁」を放棄し、関東に倣ったことを意味する。まるで大和朝廷という関東地方の国に関西以西の国々が支配されたように。

 たかが言葉の問題、と思われるかもしれないが、これは地方の方言の生き残りをかけた戦いなのだ。そしてそれは文化の戦いでもある。
 中央に一元化された文化になるのか、各地方が独自の文化を持つ多元的文化の社会なのかという戦いである。文化の多元性を保持することが多元的な社会、違いを認め合う社会に繋がるわけで、たかが呼び方と軽く考えてはいけない。

 大きな変化は常に些細な変化から始まる。ゆでガエルの話はご存知だと思う。カエルが入っている水を火にかけ、少しずつ水を温めていくと、カエルは温度の上昇に気付かず逃げ出さないため、最後は熱湯でゆで上がって死んでしまうという。
 いきなり熱湯を入れればカエルはビックリして逃げ出すだろうが少しずつ温度を上げられれば、その変化に気付かず、逆に「ああ、いい湯だな」と快感さえ覚えてしまう。
 この話をすれば聞いた人は皆笑う。バカなカエルだ、と。しかし同じことが過去、行われてきたし、今でも随所で行われている。重要なのは小さな変化を見逃さないことだ。
                          (3)に続く


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