ゴーン氏勾留で変わるかもしれない司法の古い体質。


年越しそばや、お節料理も出る?

 正月といっても改めてなにをするわけでもなく、せいぜい近くの3社に徒歩詣りをしたぐらい。そのほかには早朝ウォーキングを元日から続けているぐらいである。年末年始にTVを見ることもほとんどない。第一、年々TVが面白くなくなっているから見ようという気さえ起きない。
 大晦日の恒例行事と言えば昔は「紅白歌合戦」(私は30年以上前から見ていないが)と除夜の鐘だが、この数年、除夜の鐘を撞くのをやめたり、時間を早めて6時過ぎに撞くところもあるそうだ。騒音被害を訴えられるからのようだが、住みにくい世の中になったものだと思う。しかも高齢者からの苦情が多いらしい。キレる高齢者が言われているが、誰も彼もがどこかイライラして過ごしている。

 さて、年末に目を引いたニュースはカルロス・ゴーン氏の年越し勾留という記事。まず新聞の見出しにビックリした。

<ゴーン容疑者、拘置所内で「年越しそば」と「おせち料理」か>(毎日新聞)

 ビックリしたのは越年勾留ではなく、拘置所で年越しそばとおせち料理が出るという「待遇のよさ」の方だ。
 記事本文を少し引用してみよう。

 <東京拘置所では、大みそかや元日は特例としてそばや「おせち料理」が提供される。>
 <法務省によると、全国の拘置所や刑務所では大みそか、通常の食事以外にカップ麺のそばとポットのお湯が各部屋に配られる。「年越しそば」をイメージした特別措置で、就寝時間までに食べられるという。>
 <元日は通常の食事とは別に、正月ならではの折り詰め弁当が配られる。エビや黒豆、だて巻き、かまぼこなどが入り、2日夜か3日朝ごろまでに食べればいいルールになっている。>

 「全国の拘置所や刑務所では」とあるから、東京に限ることではないのだろう。地方の拘置所でもいまはそうなのかと思うと、70年前後とは隔世の感がある。
 その頃、私は四国の大学生だったが、在学中に松山の雑煮を食べたことはなかった。それまで雑煮といえば醤油味だとばかり思っていたが、松山は味噌味で、その雑煮を食べた時に所変われば品変わると言われるように、雑煮も地方によって違うということを知ったが、これは新鮮な驚きだった。
 松山雑煮を食べたのは後にも先にもこの時だけだが、いま思い返しても不思議だが、この時に食べた雑煮はおいしかった。
 具が色々入っていたわけでも、餅が突きたてだったわけでもない。むしろ正反対で、汁は生温く餅も溶けかかっていた。それでも、いつもの平麦に米が混じったメシではなく、中に入っているのは餅だということは分かった。
 朝、メシを差し入れる小さな扉が開けられ、模範囚が朝食をアルミ碗に盛っていくのだが、その時に「今朝は雑煮だよ」というようなことを言いながら差し出した碗に入れてくれた。

旧監獄法が改正されたのは2006年

 刑務所(代用拘置所)で雑煮を食べたのは初めてだが、その時に刑務所でも正月は雑煮が出ると知った。だが、年越しそばやおせち料理、折詰弁当の類が出た記憶はない。
 拘置所、刑務所は長い間、明治41年に定められた監獄法で運営されており、それが改正されたのが2006年5月で、名称も「刑事施設ニ於ケル刑事被告人ノ収容等ニ関スル法律」と改められた。
 明治時代に制定された法律で10年少し前まで運営されていたわけだ。この一事をみても拘置所、刑務所で人道的な扱いは望めないということはよほど勘の鈍い人でも分かるだろう。
 2006年の法改正に伴い待遇等も改善され、拘置所でも「人並みに」年越しそばやおせち料理が出るようになったのだろう。

 とはいえ、日本の司法は根本的には変わっていない。相変わらずの身柄拘束、見せしめ拘束による人質裁判で、諸外国から見れば日本の司法は独裁国家と変わらないと映るだろう。
 ゴーン氏は逮捕されて1か月。クリスマス前の保釈が認められるのが普通で、彼と彼の弁護士もそう考えたに違いない。これ以上拘束する理由も必要もない、と。
 しかし、検察の考えは違った。彼らの頭はまだ古い司法制度のままだった。裁判所がゴーン氏等への勾留延長請求を却下すると、関連する別件で再逮捕し勾留を続けたのだ。

検察の古い体質は変わるか

 この検察のやり方は大いに問題があるし、今後世界から指弾されるのは間違いないが、当事者のゴーン氏の落胆、怒りは想像に難くない。一時はクリスマス前の保釈が期待できたのだから。
 人はゴールが見えていれば苦しくても我慢できる。だが、見えたと思ったゴールが突然視界から消え、どこがゴールか分からない細い1本の道だけしか見えなくなると絶望の淵に立たせられる。安田純平氏は3年もの長きに渡って「出口なし」の状態に置かれながら、よくぞ精神に異常も来さず頑張ってきたと思う。恐らく他の人ではとっくに精神を破壊されていただろう。彼の帰国を素直に喜び、生還を祝福したい。

「裁判所にも温情はある。ましてや君たちは学生なんだから、年内には出られる」
 12月のある日、弁護士からそう聞かされた。実際、クリスマス前日に釈放された連中もいた。しかし、私はクリスマスはおろか、正月も中で過ごすことになった。こうなると次の目安は、いつ開かれるか分からない公判日以降ということになる。

 現在、ゴーン氏が置かれているのも同じ状況だ。逮捕から1か月もたっているのに「証拠隠滅の恐れ」や「逃亡の恐れ」があるからという、「とりあえずの理由付け」で長期間勾留し続けることの理不尽さ。諸外国から見れば日本の司法は明らかに異常と映るだろう。先進国とは名ばかりで、司法の実態は後進国並み、独裁国家と同じと捉えられるのは当然だ。

 裁判も開かれないまま勾留されることを未決勾留という。未決のまま長期間勾留するのは拷問と同じで、この点は諸外国から激しく避難されている。裁判で無罪になることもあるわけで、裁判も開かずに勾留を続けるのは後進国か独裁国家しかない。
 ゴーン氏の場合は再逮捕なので、再逮捕後の取り調べは、もしかすると年末、年始もあっているのかもしれないが、私の場合は起訴前から取り調べなど一切ないにもかかわらず、半年間勾留され続けた。傷害や殺人事件を起こしたわけではないく、権力や大学当局に意義を申し立て、それをデモや学園封鎖という行動で示したというだけの、いうならば政治犯である。
 だが、彼らは権力に楯突くこと自体を極度に嫌う。それこそが最大の「罪」というわけだ。

 70年頃とは違い少しは待遇が改善された新法の下で拘束され、自由を奪われているゴーン氏だが、人質裁判のような長期勾留したままの取り調べと、人権無視の拘置所暮らしには耐えられないものがあるだろう。
 保釈後は取調室の内容や拘置所内の様子を海外メディアに発信したり本に書くという話が噂になったりしているが、もしかするとゴーン氏逮捕をきっかけに日本の司法のあり方が変わるかも知れない。なんといっても外圧に弱いのがこの国の特徴である。ただ、外圧でしか変わらないのが情けないが。


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