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 権力者は災害を利用して独裁化を加速させる。(2)
〜法解釈を変更する危険性


法解釈を変更する危険性

 「民主主義」国家では独裁化ははっきりと目に見える形では行われない。それは一見ソフトな形で行われ、現在、一部の国で見られるような「ハードな独裁」という形では現れないということは「栗野的視点(No.672)」で既述した通りである。
 ソフトな語り口で笑みを浮かべながら、様々な状況を捉えて巧妙に行われるからよほど注意しないと騙される。

 世に独裁者と言われた人は最初から独裁者然として現れたわけではない。最初は民衆の味方として、社会の難題を解決する救世主として、政治の混乱を収めた名政治家として、新時代の革命児として現れている。そして権力を掌中にした途端に仮面を脱ぎ捨て、軍を掌握し、国民を監視し、私権を規制し、自分の思いのままに政治を操り出すのである。

 これは政治の世界に限らず、会社組織を含めたあらゆる組織で共通して見られることである。
 どのような人物であれ、権力の座に長く留まれば独裁化が始まる。企業でも「中興の祖」と言われた経営者がいたが、ほぼ例外なく長期政権で、トップの座に長く君臨し続け、人事を思うがままにし、組織を操つり、陰では「老害」と言われている。
 近年、目に見えるハードな形の独裁を続けた経営者は日産自動車のゴーン元会長ぐらいで、これは逆に珍しい存在と言えるだろう。

 さて、この国の政治である。安倍政権は長期政権などと持ち上げられ、その一方で政権に慢心と緊張感の緩みが目立つと批判されてもいる。
 これこそ独裁化への第一歩。長期政権=国民に支持という図式を作り、故に何をしても許されると(意図的に)勘違いしてしまうのである。
 例えばこのところの閣僚の国会答弁には耳も目も覆いたくなる。森法相に至っては本当に壊れたレコードかテープレコーダーのように、同じことを繰り返し述べるばかりで、聞いていてイライラするが、結局、言わんとするところは、その当時の解釈と今の解釈は違う。法律の解釈を現政権に都合よく変え、検事長の定年延長をするということだ。

 法務大臣が法律の解釈を変える、ということを言っているわけで、これがどれほど重要なことかを当の本人が理解していないところが怖い。
 さらに怖いのはマスメディアがそのことの危険性を声を大にして問題視し、現政権はおかしいと指摘しないことだ。
 こんな重要なことを通り一遍の記事や報道で済まそうとするならメディアそのものもおかしい。「ジャーナリズムは死んだ」とは以前にも書いたが、もはやマスメディアにジャーナリズムはないと言える。そして、そのことは二重に危険であり、恐ろしい。

 メディアの問題意識の希薄さは後述するとして、検事長の定年延長問題にもう少し触れてみよう。
 これは2つの問題を含んでいる。1つは法の解釈変更の問題であり、もう1つは三権分立に関わる問題である。
 言うまでもないだろうが三権分立とは立法権、行政権、司法権を独立させ、三権が1箇所(一人)に集中することによって起こる危険性(独裁化)を防ぐためである。
 司法権が行政を担う時の政権によって侵され、自由に操られるとどうなるか。検察の独立性はなくなり、政権に不都合な事件は立件されず、与党議員はやりたい放題やれる。
 それは極端で、そんなことはない、と言われるかもしれないが、司法の独立がなければ田中角栄はロッキード事件で逮捕されることはなかっただろう。いや、そんな古い話はいい。もし検察トップの人事が政権の思うままに操られたら「モリカケ」問題など問題にもされなかっただろう。今でさえ手心を加えたように見えるのに、だ。

 政権側が検察を味方に付けたいと思うのはどこも同じで、お隣の国、韓国では代々、政権と検察の癒着が問題にされてきたため、検察改革を行う目的で文在寅大統領が法務長官に任命したのがチョ・ググ氏。ところが身内の不正で家族が逮捕され、チョ氏が就任間もなく辞任に追い込まれたのはご存知の通り。文大統領の検察改革は逆に検察組織に返り討ちに遭った形になったが、見方を変えれば検察は三権分立を守り、政権に忖度しなかったとも言える。

 詰まるところ、三権分立が守られるかどうかは検察が政権と距離を置き、独立性を保てるかどうかにかかっている。日本の官僚組織は国を動かしているのは自分達だという自負があり、政治家に動かされている風を装いながら実は政治家を動かしている面がある。
 それだけ自立心が強く、自分達の組織のルールは自分達が決めるとしてきたわけで、それが長所でもあったが、安倍政権がそこに手を突っ込んできたから今後、検察組織はどうするのか。黙って従うのか、それとも司法の独立を守る意地を見せるのか。

 それは組織としての検察の問題だが、これとは別に人の問題がある。法の解釈を変更してまで定年を延長させられる方はどうするのか。検察官の意地を見せ従来通りの定年で退官します、と辞める風はないし、もともと安倍政権寄りと言われている人物だけに、むしろ定年延長に恩義を感じ、より一層安倍政権に忖度した検察指揮を執るだろう。

 つまり今回の検事長の定年延長問題は(1)法律は明文化された内容ではなく、政権が自分達に都合よく解釈でき(2)人事も政権が好きにでき、三権分立は有名無実化されるということだ。
 これこそ独裁国家で見られる特徴である。
(3)に続く


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