タカラトミーモール

 


この国の無責任体質が権力者の独裁化を許していく。(2)
〜公文書破棄の次は法の身勝手な解釈


母国語の軽視が、思考力の低下を招く

 翻訳機械、AIがどんどん進化する中、英語(米語)を世界標準語と捉え、車内の公用語を米語にしたり、小学校から米語を学ばせるようになったらしいが、グローバル社会になればなるほど自国語、自国文化に対する理解が必要とされている。
 人の思考は母国語で行われる。つまり母国語をしっかり理解していないと、母国の文化に対する理解が進まないだけでなく、思考ができないということである。
 理解力不足はどんどん進み、日本人が操る言葉の数もそれに比例して減少している。

 会話重視の米語教育の導入を進める一方で国語教育が軽視され、小学校の授業で作文を教えなくなったから文章が書けない大人が増え、ケータイ、スマートフォンの普及で文盲が増えている。
 余談だが、Microsoft IMEで「もんもう」と入力すると「門」と「網」に分割されて表示された。ジャストシステムのATOKでは「文盲」ときちんと表示されたが。
 Microsoft IMEが「文盲」を表示できなかったのは、すでにこの言葉が死語(廃語)になっているとの判断からか。もしそうだとすれば、その判断は現実をきちんと認識していないというべきだろう。
 近年、漢字は読めても書けないだけでなく、漢字を読めない人(どこぞの大臣に象徴されるように)が増えているし、今後もそうした「文盲」は増えて行くだろう。

 「美しい国」を標榜しながら国語教育を軽視するのは矛盾しているように見えるが読解力・理解力不足、文盲化は権力者にとっては都合がいい。答弁の整合性を求めたり、公文書の保存を求め、過去の政策を検証したりしなくなるだろうから好都合なのだ。言葉は口から出た後は残らず、次から次へと消費され、消えていく存在になり、「〇〇年から解釈を変えました」と言えば済むようになる。

公文書破棄の次は法の身勝手な解釈

 前にも触れたが公文書の廃棄は独裁化への第一歩である。記録文書がなければ過去の出来事や歴史は検証できなくなる。検証は権力者の暴走を防ぐ砦なのだ。
 第一歩があれば、当然、第二歩が続く。では、第二歩は何か−−。それは人事である。
 古今東西、人事こそが政権維持の絶対条件であり、自分が思うがままに振る舞える必要条件である。故に周辺に意のままに動く人物、自らの意思を忖度して実行する人物、それは多分に恩を着せた人物だったり、お友達だったりするわけだが、そういう人間を配置しようとする。
 と言っても配置場所・地位はどこでもいいわけではない。権力の中枢、あるいは権力を裏から支える地位でなければならない。

 例えば副総理は総理の代理を務める地位だからナンバー2と思われがちだが、実権を持たないお飾り的な地位に過ぎない。故にそんな地位に腹心を据えても役に立たない。
 党で言うなら幹事長。政権で言えば法務大臣や法曹関係。以前から最高裁判事は政権に好意的な人物を据えるということが当たり前のように行われてきていたが、今回はさらに一歩進めて東京高検の検事長人事を恣意的に行おうとしている。
 63歳と決められていた検察官の定年を延長し、安倍政権寄りの検事に検事総長就任の道を開こうというわけだ。
 ここまで露骨な人事は過去に例を見ない。そこまでして独裁化を進めようとしている理由は何なのか。

 ところが、それに待ったをかけたのが公文書の存在である。政府の説明に反し、検察官の「定年、特例定年、勤務の延長及び再任用の適用は除外される」と明記した公文書が残っていたのである。
 こうした文書が廃棄され、残されていなければ、いいように言い換えられ、定年延長だろうが任用だろうが政権の都合で好き放題にできるということであり、公文書の保存がいかに大事かということが分かるし、身勝手な法の解釈防止に公文書の保存が一定の役割を果たしているといえる。
 逆に言えば、そうであるからこそ権力者は不都合な公文書を残したくないわけで、保管期間を短縮しようと画策もしているわけだ。
 それ故、国民は公文書の保存や法律の改変に対し、もっと注視する必要があるだろう。
                                               (3)に続く


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