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この国の無責任体質が権力者の独裁化を許していく。(3)
〜蔓延る無責任体質が独裁を許す


蔓延る無責任体質が独裁を許す

 独裁化の動きと関連し、危惧するのはこの国にどんどん蔓延していく無責任体質である。
 例えば学校でのイジメ問題。被害者が自ら命を絶ってまで訴えているのに当事者の学校関係者、教育委員会のおざなりとしか言い様がない調査報告。遺書やノートにイジメの事実を書き残していても「自殺との直接的な因果関係は不明(認められなかった)」と釈明する態度は自分達の責任を問われたくないからとしか思えない。

 極め付けは2016年に神戸市垂水区で中学3年の女子生徒が自殺した問題。当初、学校の調査で複数の同級生がイジメがあったと証言していたにもかかわらず、市教育委員会の幹部があろうことか、当時の校長に調査メモを隠すよう隠蔽工作をしていた。そのため、第3者委員会も当初、「自殺との因果関係は不明」としたが、メモの隠蔽が発覚後にやっと自殺との因果関係を認めた。

 さらに酷いのは今年(2020年)2月18日午後10時過ぎに開かれた、神戸市家庭支援課と同こども家庭センターの会見である。
 事の発端は2月10日未明(午前3時半頃)、小学6年生の女児が「こども家庭センター」(児童相談所)に「ママに出て行けと言われた」と助けを求めて来た。ところが応対したセンターの当直職員はモニター付きのインターホン越しに「警察に相談して」と伝えて女児を追い返したのだ。
 因みにこの日の神戸市の気温は最低気温は1.2℃、前日は最高気温でも6℃だったから女児は文字通り身も心も凍えるような寒さに震えていただろうに。
 追い返された女児は近くの交番に行き、そこから連絡を受けて「こども家庭センター」はやっと一時保護したのだった。
 夜間や土休日はNPO法人「社会還元センターグループわ」に窓口業務を委託しており、この時対応した男性スタッフは市の職員ではなかったが、問題はその後の市の対応だ。

 まず、事実の公表に踏み切ったのが8日後の18日夜。時間帯を考えれば、報道陣から迫られての記者会見だったのは容易に察しが付く。
 しかも会見に出席したのは「こども家庭センター」の副所長と市家庭支援課の課長。所長ではなく副所長だったという時点ですでに真摯に取り組もうという姿勢がないことが分かるが、記者会見の仕方も異常だ。
 「こちらから話すことはない」。市家庭支援課の課長は会見の冒頭でこう言い放ったばかりか、「公表する考えもなかった」と言っているから驚く。
 彼らの本心は、なんで記者会見を開いて謝らなければならないんだ。業務を委託していたNPO法人の当直担当が悪いわけで、それを自分達の責任みたいな言い方をされるのは納得がいかない、と考えているとしか思えない態度である。まさに無責任。怒りを禁じえない、というより激しい怒りを覚えてしまう。

 上記2つはともに神戸市での出来事だが、こうした無責任体質は神戸市に限ったことではなく、全国に蔓延っている。
 自分(達)には責任がない、という非当事者意識、傍観者的態度こそが独裁化を許す温床にもなる。当事者意識がない国民は権力者側からすれば御しやすい存在である。問題を真剣に考えないから、結局言う通りになると見られる。そしてまたその通りになっている。給料が上がらなくても、生活が苦しくても、結婚できなくても、すべて自己責任と考え、じっと耐える民だと。
 百姓は生かさず殺さず、と言ったとされる家康の言葉が頭を過(よぎ)った。「ゆでガエル」になってはいけない、なるべきではない。もっと怒りを! 怒れる青年、怒れる中年、怒れる老人になれ! と一人怒るが、身近な出来事に対してばかり怒る人が多くて、怒りの矛先が違うのだがと思うのは私だけか。


PREMOA(プレモア)


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