社会を変える3つの狂気(4)
~芳野連合会長の「狂喜」


芳野連合会長の狂喜

 狂気が社会を覆っている中で一人、「狂喜」しているのが連合の芳野会長だろう。自民党の会合に呼ばれ、欣喜雀躍して出席するなど一人「狂喜」乱舞している。この人、個人的に共産党が大嫌いなようで、それは個人的なことだからいいが、労働側の権利を守り資本側と対立・交渉したり、野党という枠で選挙を闘うということなら労働者の団結や野党共闘が必要なのは分かり切っている。個人的な好みより組織としての闘い方を優先すべきだろうと思うが、この人にはそうした思考はなさそうだ。

 それにしても連合の会長に就任した途端、自民党に擦り寄りだしたから「おやおや」という感じだ。この先、連合はどこに向かうのか。分裂するのではないかと思っていたら、案の定、そのような動きが内部から出てきている。
 まあ、それは当然だと思うが、過去の歴史を見ても政権に擦り寄った所はほぼ衰退している。かつての社会党然り。連合はすでに衰退傾向にあるから、その動きに拍車がかかることになる。

 この狂気(狂喜)じみた動きは連合という組織を分裂させるだけでなく野党の弱体化にも力を貸している。かつて母体を共にした国民民主党と立憲民主党は内ゲバさながらに身内憎しの関係になり、国民民主党の玉木代表は芳野連合会長と歩調を合わせるように自民党に擦り寄り、軸足をそちら側に移そうとしている。

 両者とも「虎穴に入らずんば虎子を得ず」と考えているのかもしれないが、それは逆で「ミイラ取りがミイラに」なり、自民党1強をさらに強くするだけだ。
 実際、ガソリン税の一部を減税する「トリガー条項」の凍結解除を条件に自民党・公明党との「3党協議」(与党入り)を行い、トリガー条項の凍結解除が行われなければ「3党協議」から離脱すると息巻いていたが、結局、今に至るもトリガー条項の凍結解除はなく、ガソリンは高いまま。引き続き協議を行うとしているが、玉木氏は「3党協議」から離脱するどころか与党擦り寄り状態のままだ。
 一度アメを舐めると、その味は忘れられない。相手との距離を広げるどころか、逆に距離をどんどん近付けて行き、最後は与党補完勢力に成り下がる。
 この状態が怖いのは戦前の大政翼賛会のような状態が作り出され、政権に対するチェック機能が働かなるからで、それはプーチンのロシアを見ても明らかだろう。

 昔から自民党の懐の深さはよく知られている。「来る者拒まず」で、政権獲得・維持のためには野党とだろうと手を組むどころか、野党党首を首相の椅子にさえ座らせる。自社さ連立(野合)政権で社会党の村山富市氏が総理大臣になったのはまだ記憶に新しいだろう。それとも30年近くも昔のことだから人々の記憶から薄れているだろうか。
 フィリピンのマルコス政権が独裁政治を行った記憶は若い人達の記憶から消え、マルコス(息子)が圧倒的な支持を得て大統領選に当選したぐらいだから、日本でも同じようになっているのかも分からない。

 狂喜しているのは連合の芳野氏だけではない。自民党の麻生氏は芳野氏を党の会合に呼んだ後「これで酒が飲める関係に」なったとニヤリとしていた。この瞬間、連合は自民党に取り込まれた。少なくとも芳野会長は。
 一度蜘蛛の巣に引っかかればいくら足搔いても逃れられない。足搔けば足搔くほど糸が絡み付くだけで、ますます取り込まれて行く。
 まあ当のご本人は足搔くどころか蜘蛛の糸に絡まったことを喜んでいるかもしれない、自民党の大物議員や自民党にパイプが出来た、と。だが、それが労働者のためになるのか。100歩譲って、仮に「労働者」のためになるとしても、そこで言われる「労働者」は大企業で働く正規社員で、同じ社内でも非正規社員は含まれていないし、ましてや中小企業で働く社員・非正規社員は含まれていないだろう。芳野氏の頭にある「労働者」とは連合傘下の労働組合員だけだ。

 労働組合と言っても内部にヒエラルキー(ピラミッド型の階層)が存在しているのは公然の事実で、一般組合員と専従組合幹部とは待遇その他からして違う。彼らが労働者の味方だったのはせいぜい1950年ぐらいまでだろう。
 「資本家」などと言って経営側を批判する一方で、組合幹部は一般労働者が一生かかっても住めないような広い住居に住み、夜は銀座や地方都市の繁華街で飲み食いし、移動はグリーン車やタクシーという優雅な生活を送っている。そんな生活をしていて、一般労働者の苦しみが分かるはずはない。彼らが送っているのは貴族生活で、中小企業の経営者の方がはるかに労働者に近い生活を送っていた。故に組合幹部は「労働貴族」と呼ばれたりしていた。
 その最たるものが自動車総連会長の塩路一郎氏で「塩路天皇」とまで呼ばれた。ここまでくると労組の代表というより、労組を食い物にしている寄生虫に近いと言うのは言い過ぎか。中にはそうでない労組幹部もいただろうが、それこそ貴重な存在。

 労使協調路線を取る労組はかつて「第2組合」と呼ばれていたが、今や第1組合は少数派で、大半の組合は労使協調路線であり、組合の委員長、書記職はもう一つの出世コース、あるいは社内出世コースに組み込まれている。
 生真面目な読者からすれば不思議に思われるかもしれないが、経営側と労働者側に分かれていても近年の社内組合は呉越同舟ではなく、同じ穴のムジナに近い関係。会食を何度も共にしていれば互いに通じ合い、落とし所、妥協点を出し合い、後はそれを組合に持ち帰って組合員を説得するのが組合幹部の仕事。これで酒でも共にすればミイラ取りがミイラになる。いやもともとミイラを取りに行っているわけでもなく、ミイラを覗いて帰ってくるだけだ。

 あまり厳しいことを言うなと言われるかもしれないが、コロナ禍に値上げラッシュで人々の暮らしはますます厳しくなっている。食材を含めた生活用品の値上げは低所得層にほど大きく影響する。その一方で大企業は過去最高益を計上している。そんな中で狂喜している感覚がおかしい。それこそ狂気としか言いようがない。
 このような狂気に支配され、狂気が蔓延している社会だけに、それに感染しない思考と行動が求められる。


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