大きな成功体験が企業の足枷となり、その後の転身を難しくするとはよく言われてきたが、その典型といえる。たしかに「世界の亀山モデル」に慢心して時流を読み誤り、巨費を投じた堺工場の建設が直接的な引き金だろうが、シャープにしろパナソニックにしろ、凋落の真の原因は社会のデジタル化への対応を誤ったことである。
こう言えば何をバカなと思われるだろう。両社ともデジタル化への対応は早くから行っているではないかと。その通りである。
シェアトップ企業が落ちる罠
ここでちょっと話をカメラに戻そう。デジタルカメラの技術を最初に開発したのはどこかご存知だろうか。アメリカのフィルムメーカー、コダックなのだ。フィルム時代はアメリカを代表する企業の一つであり、世界に君臨したといっても過言ではないだろう。ところが、2012年1月に連邦破産法第11条の適用を申請し、経営破綻したのは記憶に新しい。
写真のデジタル化の波に乗り遅れたのが原因だが、そのコダックがデジタルカメラを世界で最初に開発していたのは皮肉としか言いようがない。1975年にデジタルカメラを開発しながら、その技術を自社のために使わなかったのだから。
世界に先駆けた技術を開発しながら、なぜコダックはその技術を自社のために使わなかったのか。では、どこがその技術を使い、フィルムカメラ退場への道を作ったのか。
ひと言で言うとコダックは潮流を読み誤ったのである。まだフィルム全盛期だったし、世界で圧倒的なシェアを誇り、同社の稼ぎ頭ということもあり、同社は自社開発の新しい技術を積極的に使おうとしなかった。そんなものに金をかけるより、主力商品のフィルムの品質アップに力を注いだ方がはるかに増しと首脳陣は考えたのだ。
賢明な読者はここで気付くだろう。シャープやパナソニックも同じ過ちを起こしていたことに。いや、シャープだけではない、その分野でトップシェアを握っていた企業が等しく陥った誤りだということに。IBMもソニーもマイクロソフトも、皆この陥穽に落ちた。そしてこれら個々の企業だけではなく、日本の製造業そのものがこの罠に落ちたのである。
ところでコダックに引導を渡したのはどこなのか。なんと、日本企業なのだ。
当時、日本では東芝、三洋、カシオなど家電系メーカーがデジカメ市場を牽引していた。それに引っ張られる形で富士フイルムや、キャノン、ニコンなどの写真メーカーが参入し市場が急拡大していくが、日本から遠く離れたアメリカ・ニューヨーク州北西部のロチェスターに本拠を置くコダックには、そうした動きが届かなかった、あるいは極東の小さな島国の非カメラ系メーカーの動きだと、あまり問題視しなかったのかも知れない。いずれにしろコダックはカメラのデジタル化の動きに大きく乗り遅れ、その結果が現在である。
もし、コダックが専門家ではなく素人の意見に耳を傾け、カメラ業界のプロではなく、業界素人の動きに潮流の変化を感じ取っていれば、最悪のパターンは免れたかもしれない。
(4)に続く
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