権力の甘い蜜の罠に堕ちた男達(2)
〜都知事の権力の源泉


都知事の権力の源泉

 どのような権力であれ、その力の源泉は人数とカネである。実はこの2つは表裏一体といってよく、人数が多いからカネが多く集まるわけで、人数が少なければ集まるカネもそれだけ少ない。要は数がものを言うわけだ。権力とは数であるといっても、あながち間違いではないだろう。
 東京都の人口は約1300万人。もちろんほかの道府県よりは多い。それだけでも都知事の権力は他の知事を上回るといえるが、それだけではなく東京には国内の主要企業の本社が集中しているばかりでなく、海外企業が日本に進出する場合も大半が東京に拠点を構えている。このことが都知事の権力を間接的に大きくしている側面もある。

 さらに東京都の予算規模は韓国の国家予算に匹敵する約13兆円と大きい。このカネ全てを都知事の一存で動かせるわけではないが、他自治体に比べて圧倒的に財政が大きいということはそれだけで力になるし、自分はこれだけのカネを動かせるのだ、ほかの首長とは違ってエライのだという勘違い、思い上がりをも生む。

 都にはこれだけのカネがある。俺はそのカネを動かせるトップだ。
 首相のように議会で選ばれたトップではなく、都民から直接選挙で選ばれたトップなんだから、議会に気を使う必要などない。
 都知事なのだからカネの使い方にチマチマしなくていいんだ。海外出張の時はファーストクラス、ホテルはスイートルームだろう。それでこそ箔が付くというものだ。
 海外の要人とも会うのだから教養もさらに高める必要がある。まず好きな美術鑑賞をせいぜい楽しむことにしよう。
 公用車だって乗り放題だ。公用車は都知事のために用意された車なのだから、都知事の俺が乗るのに何の不都合もない。走る知事室だ。そう都知事たる者24時間仕事のことを考えて働いているのだ。車で美術鑑賞、野球観戦に行く時だって、移動中に都政のことを考えているのかだから、これは公務だ。公用車を使うことに何ら問題はない。

 舛添氏がそう考えたとしてもおかしくはない。権力者が陥りやすい公私混同だが、これはなにも政治家に限った話ではない。1代で財を築いた成り上がり経営者等によく見られる思考である。

 組織が大きければ大きいなりに、小さければ小さいなりに公私混同は行われている。それを防ぐ方法はただ一つ。財布を別にすることだ。しかし、これは言うほどたやすくない。
 物理的に財布を2つ持ち、それぞれの財布を使い分ければいいが、そんな面倒なことをする人はいないだろう。少なくとも私はそういう人を見たことがない。
 では、どうする。会社経費の場合は法人カードを使って支払う。あるいは領収書をもらう。
 だが、この方法は舛添氏が行ったように領収書の宛名を組織名にする方法でごまかせる。法人カードを使う場合も同じだ。
 結局、支払い段階での分離チェックは難しい。となると支払い後の分類しかない。これは経費、これは個人利用という具合に、だ。
 問題はその仕分けを誰がするのかということだが、小・零細企業の場合、経理担当は家族ということが多い。これでは財布が一つと同じで、厳密な仕分けなどできないだろう。
 最善の方法は身内以外の人間を経理担当者にし、その担当者に仕分けを任せることだ。公私混同、不正を完全に防ぐことは難しいが、それでもこまめなチェック、頻繁にチェックをすることは一定の抑止力にはなるはずだ。

他人に厳しく自分に甘い性格

 舛添氏の行動は一見、矛盾しているようにも思える。例えば国立競技場建設費削減や、厚生労働大臣当時に見せた厳しい姿勢と、都知事就任後のあまりにも酷い公私混同振り、それも大きな金額をごまかす、着服するような犯罪ではなく、まるで家庭生活で必要なものを公金で賄う、いわば小さな公私混同振りは「セコイ」という言い方がまさしくピッタリで、とても志を持った政治家の行為とは考えられない。

 「号泣議員と同じ」と評した女性がいたが、まさにその通り。本人は不本意だろうが、次元は一緒だ。「号泣議員」同様、額は大きくないとはいえ、公私混同振りの常態化が見られただけに見過ごせる問題ではない。
 着服、使い込み等は最初は小さな額から始まることがほとんどで、それが見過ごされ、少しずつ大胆になっていくパターンが多い。美術館通いにしろ、公用車の私的利用にしろ、早い段階で注意し、やめさせる人間がいれば恐らくここまでの問題にはならなかっただろう。周囲に諫言する人間がいなかったことが舛添氏の不幸だったともいえる。

 彼は上昇志向、権力志向が強い人間だったようだが、公私混同振りはそれらと密接に関係しているというよりは、むしろ「他人に厳しく自分に甘い」性格故だったのではないか。
 そう考えると「朝まで生テレビ」等で舌鋒鋭く論評していたのは、あくまで他人の事だったからで、彼自身は清廉潔白の氏でも、正義を貫く思想信条の持ち主でもないから、過去の発言といまの舛添氏の行動が矛盾していると言われても本人には理解できないのではないか。

 こういう性格の人間は断言調で語ることが多い。それはある局面では歯切れの良さに映り、強いリーダーシップを感じさせたりするが、もともとが自己サイドの発言であるから言葉を裏付ける事実や確証はないことが多い。
 断言調で語ることが多い政治家はとりわけ要注意である。断言することで、本来説明しなければならない事実や別の見方を隠そうとしているからだ。ヒトラーやかつての軍部がよく使った手法である。

 例えば舛添氏は高額な海外出張費(飛行機のファーストクラスや宿泊ホテルのスイートルーム利用)を最初、問題にされた時、「問題ない」と断言している。毎週末、公用車で湯河原の別荘に通った問題でも同じように「問題ない」と断言している。
 もし、同じことを彼以外の誰かが行っていれば、舛添氏は「大問題だ」と厳しく断罪したに違いない。「他人に厳しい」のが彼のモットー(?)、いや性格だから。
 重ねて問題にされだした時、彼が取った行動は謝罪ではなくディベートの方法だった。指摘されたことを考え、どのような方法がいいのか、よかったのかを考えるのではなく、論争で負けないこと、相手を論破することである。
 彼が最後まで自分の非を認めて謝罪しなかった(最後の最後に非を認め、謝罪しはしたが、それはあくまで形だけだ)のは、そういう理由(ディベートで負けたくない)からだ。
                                               (3)に続く


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