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 旨い酒造りにこだわる6代目の挑戦(1)

池亀酒造株式会社 代表取締役 蒲池輝行
福岡県久留米市三潴町草場545 
tel/0942-64-3101

蔵の復活に向けて

 よく、こんな状態でやってこれたもんだ。会社の体を成していないではないか。
蒲池輝行は会社の現状を知れば知るほど呆れていた。
それでも一人ひとりがいい腕を持った職人だったのがせめてもの救いだ。
そう感じていた。
一体何から手を付ければいいのか。
やらねばならないことが多すぎて、どこから、どのように手を付ければいいのか思案に暮れていた。
まるで下手に駒を動かすと全部が崩れてしまう将棋崩しのように思えた。

 社業を継いでいた兄が突然倒れ、帰らぬ人となったのが4年前。まだ50歳。逝くには早すぎた年齢だ。
「兄が販売を、私が技術の方をやり、兄弟力を合わせて父の仕事を手伝いたい」
小学校の作文にそう書いたことを昨日のことのように思い出していた。
「兄弟仲良く酒屋をやっていくんだよ」
当時、祖母からはいつもそんな言葉を聞かされていた。
それがこんな形で継ぐことになろうとは予想もしなかった。

 慌ただしく数日が過ぎた頃、会長でもある父、勵(つとむ)に呼ばれた。
「お前にはお前の人生があるから、自分で決めればいい。こういう時代だから無理に会社を継がなくてもいい。お前が帰ってくるなら会社を続けようと思うが、帰ってこないならもう会社を辞めようと思う」
 跡を継げば苦労するのは目に見えていた。しかし、それ以外のことは考えられなかった。
「おいしい酒が造りたい」
それが子供の頃からの夢だったし、結婚してからもずっとそう言い続けてきた。
だが、継ぐからには旨い酒を造らなければ意味がない。
 その日から輝行の挑戦が始まった。
それは取りも直さず蔵元復活を賭けた、旨い酒造りへの挑戦でもあった。

 最初に手がけたのは焼酎だった。
「本当は酒を造りたかったんですが、酒は右肩下がりで、昔のようには売れなくなっています。一方、焼酎はブームだったから、蔵を建て直すにはまず売れるものから造ろうと考えました。それと九州はよそから見るとやはり酒ではなく焼酎のイメージなんですね。それなら焼酎で勝負してやれ、と」
 焼酎ブームといっても一番人気は芋焼酎。それを敢えて麦焼酎でいくことにした。
といって、池亀酒造がそれまで焼酎を造ってなかったわけではない。ただ、輝行の目からすれば「酒にしても焼酎にしても、単に造っているだけ」と映っていたのだ。
「経営者にとって必要なのは方向性だ。それがないからとにかく売れそうなものをなんでも造ってみる。気が付いたら特徴がない蔵になっている。販売力では大手に負けるのだから、地方のメーカーは特徴がなければ生き残っていけない」

 それからの数年は試行錯誤の連続だった。
だが、自信はあった。
早稲田大学で生物学を専攻した後、九州大学大学院に進み、そこで発酵化学を学んだ研究生活が生かされると考えていたし、(株)メルシャン藤沢工場で5年、福徳長酒類(株)での12年も自分の武器になる、と。
洋酒から清酒まで製造に関わった経験を生かして、従来にない新しい発想で造ってみたい−−。
そんな思いが溢れていた。
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