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N の 憂 鬱-27
〜足し算から引き算、そして足し算の生活(4)
拘置所で雑煮を食べる(3)


 母の実家は同じ町内で100m程しか離れていない距離にあったし、生まれてから現在に至るまでこの地を出たことがなかったから醤油味の雑煮など結婚するまで知らなかったはずである。
 それなのになぜ、と思うが、今と違い昔は家の味は姑から教え込まれ、それを忠実に受け継いでいくのが習わし。会津若松の武家の娘で大妻女学校を卒業していた姑は気位が高く、何かにつけ地方を蔑む風があった。
 父も早稲田大学在学中を含め東京生活が長かったから祖母同様田舎の味が嫌いで、関東風の醤油辛いのを好んだ。少しでも味が甘いと「お父さんは醤油をドバッと掛けていたから」と、まだ子供だったNに母が愚痴ったことがある。

 そんな2人に気に入られようと、生まれ育った地域の味を捨て、夫の好む味付け、料理を必死に覚えてきたのだろう。
 ただ、舌と記憶力は確かだったようで、時に家族を連れて中華のコース料理その他を食べに行った時は出された料理の食材をメモし、味を舌で覚えて帰り再現したという話を母から聞かされたことがある。

 だが、父の東京好みの味は母に悪影響を与え、腎臓を患うことに。そんな病気の詳しいことなど知らないNが中学生の頃、毎朝母が何かを測っているのを見て何をしているのか尋ねたことがあった。
「タンパクを測っている」
 そう言われてもタンパクが何なのか、何のために測っているのか当時のNに分かるはずもなかったが
「お父さんのせいでお母さんは腎臓が悪くなったの」と、普段父の悪口など言ったことがない母がこの時だけは多少恨めしそうに愚痴るのを聞いた。
 それまでも味付けが気に入らないと「お父さんはお膳を引っくり返していた」と聞いたことがあるが、母が腎臓を悪くしたことに多少責任を感じたのか、以降、出された料理に醤油を掛けたり膳を引っくり返すことはなくなったが、雑煮の味だけは変わらなかった。

 餅は崩れ、具もほとんどなく、味噌汁の中に餅を入れただけのような「雑煮」を口にしながら、Nは侘しさを感じることもなく、むしろ初めて口にする味噌味の「四国雑煮」に、所変われば味変わるというが本当なのだと興味の方が優り、大鍋で作っている様子を想像したりした。
 餅は適当に入れているのだろうか。それでは餅が行き渡らない雑煮が配られることになるから、拘置所内の人数分だけきっちり入れるんだろうな。でも一度に入れるのか時間をずらして入れるのか。その辺はどうするのだろう。崩れすぎても、硬すぎても困るだろうし、などと色々想像を働かせていると、短い食事時間はあっという間に終わり慌てて残りの汁を口の中に流し込んだ。

 一口に雑煮と言っても色々あるとしったのは随分後になってからだが、結婚してブリが入った雑煮を出された時も驚いた。聞けば博多では雑煮にブリを入れる習慣があると妻から教えられたが、脂濃い味には慣れず、N家風の醤油味のあっさりした雑煮を母から教えられ、以来、正月に食べる雑煮は今に至るまで醤油味の大して具が入らない雑煮だ。
 さらに驚いたのは島原に行った時で「島原雑煮を食べに行きましょう」と言われた時だ。「えっ、雑煮ですか。今頃雑煮があるわけないでしょう」と人をからかっているのかと思ったが、食事に誘ってくれたのは島原の地の人。まさか間違えるはずはないだろうと半信半疑で付いて行った。
「島原では年中、島原雑煮が食べられるんですよ」
 島原城近くのレストランの入り口ショーウィンドーを見るとたしかに「島原雑煮」と表示してあったからまた驚いた。
 出された雑煮はこれでもかというぐらい具が入った具沢山雑煮。昔は正月のご馳走だったが、その後郷土名物料理になり年中どこの店でも出すようになったらしい。
 岡山の具沢山ばら寿司「祭りずし」も似たようなもので、「祭りずし」の存在を知ったのは「島原雑煮」よりさらに後だったが、四国の雑煮、特に松山地方の標準的な雑煮は今に至るまで食べたことがない。本当はどんな味なのか、具はどんなものが入っているのか、懐かしい味がするのか、それともまったく別物なのか−−。


 


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