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N の 憂 鬱-24〜拘禁生活
ーひとり寝の子守歌


ひとり寝の子守歌

 朝の一連の行事が終わればすることがない。規則では横になることは許されず、小さな卓袱台の前で1日座っていなければならないが、何もなくてそんなことができるわけがない。せめて本でもあれば読めるが、まだ誰も接見(面会)に来てくれないので本の差し入れを頼むこともできず、手持ち無沙汰で時間が過ぎるのが遅く感じられる。

 勾留生活は留置場から数えればすでに3週間を超え、その間運動はおろか歩くことさえないから身体が鈍っている。このままではマズイ。必要なのは体力づくり。そのためには拘置所内でもできることをしなければならない。
 そんなことを考えながら取り敢えず腕立て伏せを始めた。これなら狭い場所でもできる。
 だが、腕立て伏せで鍛えられるのは上半身の筋肉で、問題は下半身。足腰の衰えをいかに防ぐかだが、わずか3畳足らずのスペースで何ができるのか。

 スポーツをやっている人間を別にすれば、足腰の筋力強化と言って思い浮かぶのは走ることぐらいで、今のような健康ブームの時代でもないし、まだ20歳そこそこ。健康とか体力づくりなど意識する必要も、したこともない年齢である。
 それでも何かしなければと腕立て伏せの後に狭い房内を歩き回ってみる。しかし、これが案外やり難い。ごく普通に歩くだけならほとんど負荷はかからないから運動にはならない。かといって歩幅を広げて歩けば畳1畳半の距離は3歩で終わる。横は2歩も歩けば壁にぶつかる。
 グルグルと何周かしてみたが目に入るのは白っぽくくすんだ壁と入り口の扉ぐらいで変化がない。何周かすると目が回るような感覚に襲われて来た。
 これってまるでハムスターが回し車の中をグルグル走っているみたいじゃないか。そう考えると急にバカバカしくなり、歩くのをやめたその時、扉の外から看守が叱責してきた。
「運動するんではない。座ってろ」

 気が付かなかったが、先程から看守は覗き窓からNの行動を見ていたようだ。
 大声の叱責に驚き、慌てて小さな卓袱台の前に正座した。だが、長くは座れない。足が痺れてくる。通路の様子に気を配りながら脚を崩して胡坐座りにした。
 困るのは規則がよく分からないことだ。どこまでなら許されるのか、何がダメなのかが分からない。
 規則を記した簡単な冊子のようなものは見せられたが、そこには正座して座っている姿がイラストで描かれていたが、そんな姿勢で1日中いることなどできるわけがないので、足が痺れてきたのを機に胡坐に替えて様子を見ることにした。

 胡坐をかいてしばらく通路を行き来する看守の靴音に耳を澄ませていると、各房の前で立ち止まり中を覗き見ているのが微かな音で感じられだし、Nの房の前でも立ち止まり、そっと覗き窓の蓋を開け中を覗いている様子が分かったが、顔を上げてそちらを見ず気が付かない振りをしていた。

 しばらくこちらを観ている風だったから胡坐をかいているのは分かったはずだが、何も言わず気配を消し、靴音も立てずに離れて行った。
(そうか、胡坐まではOKだな)
 横になると看守の怒声が飛んでくるが、横になりさえしなければあまりうるさくは言われなさそうだ。こうして一つ一つ手探りで確かめていった。

 午後4時30分、夕食の時間だ。その少し前から配膳が始まる。朝食の時と全く同じ感じで寸胴鍋を載せた台車が押されてきて飯とおかずに漬物、汁が差し出される。
 12時に昼食で午後4時30分夕食は早い。それまででも午後5時より前に食事をしたことがないし、1日房内で座っているだけだから腹も減ってない。食事のまずさとか、おかずの種類の少なさに文句を言うどころか、逆に全部食べられるかなという心配が先に立った。

 夕食が終わると午後5時30分から仮就寝の時間になる。布団を敷いて横になることが認められるわけだが、食後1時間で睡眠は面食らった。いくらなんでもこんな早い時間から寝られるわけはない。だが、他にすることはないし、1日中座っているのも疲れるから横になった。といっても初日は手元に何もないから、肘を立てて頭を支える涅槃のポーズや腕枕姿勢になっても畳の上より布団の方が楽だ。眠るわけではないが、布団を敷いてみるか、と布団を敷き、その上に寝転がった。
 12月の夜は寒い。暖房はなく、外界とは半透明の薄いアクリル板がガラスの代わりに窓に嵌め込まれているだけで、隙間から冷たい空気が間断なく入り込む。
 体の冷えを防ぐためにも布団に潜り込み横になっている方がいい。だが、こんなに早い時間から寝る習慣もないし、眠られもしない。

 カネさえ払えば大抵のものは買えると言っていたから、明朝まずボールペンとノートに便せんを買うことにしよう。それから接見に来てくれたらまず本の差し入れを頼みたい。
 そんなことを考えながら布団の中で横になり身体を丸めていると、加藤登紀子の「ひとり寝の子守歌」の歌詞が不意に浮かんできた。

 ひとりで寝る時にはよォー  膝っ小僧が寒かろう
 おなごを抱くように あたためておやりよ
 ひとりで寝る時にはよォー  天井のねずみが歌ってくれるだろう
 いっしょに歌えよ

 ひとりで寝る時にはよォー  もみがら枕を
 思い出がぬらすだろう 人恋しさに

 ひとりで寝る時にはよォー  浮気な夜風が
 トントン戸をたたき お前を呼ぶだろう


 この歌は加藤登紀子が当時、拘留中の恋人、藤本敏夫のことを想って作り、歌った歌だとブントの連中から聞いた覚えがあった。
 藤本敏夫はブント社学同の所属だったが、ブント社学同、社青同解放派、第4インターで構成された反帝全学連の委員長で、68年11月に10.21国際反戦デー防衛庁抗議行動を指揮したとして逮捕され、69年6月まで拘留された。
 その前後から新左翼各派間で運動の主導権争いを巡り互いにゲバルト(暴力)に訴える内部闘争が激化してくる。特に中核派と革マル派の内ゲバは激しく、また70年闘争以降も互いに襲撃し死者まで出すなど激しいいがみ合いが続いているが、藤本は内ゲバに反対し、69年に学生運動から離脱。
 1972年4月公務執行妨害・凶器準備集合罪等で実刑判決を受け74年まで収監されるが、収監直後の72年5月に歌手・加藤登紀子と獄中結婚したことでも知られる。

 「もみがら枕を 思い出がぬらす」ことはなかったが、12月の寒い夜、独居房での独り寝は寒さに震え、「膝っ小僧が寒かろう」と身体を丸め縮こまって寝ながら「ひとりで寝る時にはよォー  膝っ小僧が寒かろう おなごを抱くように あたためておやりよ」というフレーズが頭の中で何度も繰り返された。
 そんなことをあれこれ考えているうちに「消灯!」という声がスピーカーから流れてきた。午後9時になると寝なければいけない。眠るかどうかは別にしても布団の中に入って横にならないと注意される。
 強制的就寝で、それを促すため房内の照明が消される。実際には完全に明かりを消すのではなく、照明を暗くするだけで、夜間も通路を巡回している看守が覗き窓から中の様子が見える程度の明かるさは常に点いている。自殺防止、脱走防止等のためだが、真っ暗にしないと眠れないタイプには辛いかもしれないが、どこででも寝られ、寝付きがいいNは「消灯」の合図から程なく深い眠りに落ちていた。
                                           (次回)に続く
 


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