Kurino's Novel-23
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Nの憂鬱23〜名前をなくした日々の始まり
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▽機動隊に補導される
法文館に立て籠もっている全共闘を逆封鎖し、包囲していた民青達が建物から出て行くような様子が屋上から見て取れた。
なんだ、どうした。あいつらが出て行くぞ。下で何が起きているんだ。
様子が掴めないまま、立ち向かってきていた民青達が退いたのを見て屋上から下へと移動していくと、正門辺りにたむろし法文館の攻防を不安げに見上げていた群衆が道を開けるように2つに割れて行く様子が見えた。
その中を黒い集団がガシャッ、ガシャッと音を立てながら進んで行く。彼らの左側で時々何かが光を反射し輝いている。黒い集団と見えたのは紺色の制服を着た機動隊員で、時折り光を反射するように白く見えていたのは左手に持ったジュラルミンの盾だった。右手には乱闘に供えた警棒を手にしていた。
その姿を目にし、つい今しがたまでゲバ棒を持ちバリケードに取り付いていた民青達は手にしたゲバ棒をその場に放り捨て、素知らぬ振りをして法文館から離れ闇に紛れ込んで行った。
校舎に閉じ籠もっていた内の2、3人は機動隊の姿を確認するや否や校舎の裏手に全速力で走り塀を乗り越え学外に逃亡したようだが、大半の者は法文館1階でサーチライトの強い光を受け立ち尽くしていた。
「中にいる学生諸君、武器を捨てて出て来なさい。このままでは君達双方に怪我人が出ます。そんな事態にならないよう、我々は君達を救出に来たわけで逮捕しに来たわけではありません」
「これからそちらに行きますが、武器を振るわないように。我々が君達の安全を守りますから一緒に来てください」
隊長らしき男がマイクでそう呼び掛け、法文館を取り巻き叫んでいた連中を少し後ろに退かせ、その中を機動隊に先導される形で、法文館玄関前まで降りて来ていた30人は護送車に乗せられ、城内の県警本部に連行された。
護送車に乗せられた彼らは車内で手錠をかけられることもなく、車から降りて通された広い会議室のような部屋は暖房が効いていて明るく、先程までの暗闇と寒さの中で放水を浴びてブルブル震えていたのが嘘のように思えホッと一息付けた。
室内には制服を着用した人物が2、3人いた他は背広姿の男達が5、6人目に付いたが、彼らは鋭い目をした、いかつい男というイメージには程遠く、どこにでもいるオジサンのように見えた。
しばらくすると制服を着た本部長らしき人物が「我々は君達を逮捕しに行ったわけではありません。あのままでは怪我人が出る、危ないと感じ、救出に行ったわけです。逮捕するためにここに連れて来たわけではありません。ひとまず君らが落ち着けば今日は帰ってもらいます。一応、各人が名前を記入してもらえばそれで帰っていいです」と、居丈高でも演説する風でもなく、どこか諭すような声で学生達に呼びかけた。
制服の警察官は本部長のほかに2、3人いたが、本部長の話が終わると彼らも一緒に退室し、後には私服の男達だけが残った。
そのうちの一人がNの前のテーブルに近付き声を掛けて来た。
「N君、大変だったね。寒かっただろう。中にML派も何人かいたようだが、今日は名前だけ書いてもらえば全員帰ってもらうからね。N君からもみんなにそう言ってよ」
彼はNの正面ではなく斜め横で中腰になり、警戒心を抱かせないように話しかけた。テーブルの正面に立ったままの姿勢だと相手に威圧感を与え反発を招く。そう考えてのことで、この辺りのやり方はお手の物だ。
男の顔に見覚えはなかったし、まだ名前すら書いていないのに、相手はNの名前もNがML派だということも先刻承知していて、迷うことなく真っ直ぐ近付いて来るや「君がN君か」と質すこともなく「N君」と呼びかけられたが驚きはしなかった。
(なんだ、俺の面はとっくに割れているということか。なら、いまさら名前は書かないと抵抗しても一緒か)
と妙なところで納得した。
戦時下に活動した運動家達のような気概も強い意志もNは持ち合わせていないと見え、なんだ今日は逮捕されないのか、と安易に考えサッサと名前を書いてしまった。
この時の様子から後にNを待ち受けている運命に彼が耐えられそうには思えないが、深く考えず現状を受け入れてしまうようなところがこの男にはあるのかもしれない。
(2)に続く
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