N の 憂 鬱-6
〜学生服とアスコットタイ(2)〜


  ▽学生服とアスコットタイ

 Nにバンカラ趣味はなく、むしろ英国帰りの漱石先生の方に親近感を抱くタイプだったから一回生の時からジャケットに赤いアスコットタイを締め、本はブックバンドで縛って後ろ肩に下げ学内を歩いていた。
 当時、アスコットタイを締めていたのは全学生の中で「放送研」とNだけだったから学生服姿の先輩達からは「遊び人」か「不真面目な学生」と見られていたのかもしれない。ある時サークルの先輩から「N君は学生服を持たないのか」とからかうような口調で問い掛けられた。
「えっ、学生服? いや、持ってますよ」
「N君が学生服を着ているのは一度も見たことがないから持ってないのかと思って」
 と言われた。
 おい、おい、学生服を着ろっていうのか、大学に入ってまで。予備校に通っている時でさえ学生服なんか着たことがないというのに。そんなに田舎の大学なのかと思いつつ、改めて彼らの服装を見ると着古して表面がツルツルにテカっている学生服をさも誇らしげに着ていた。
 よしてくれ。それって高校の時から着ている学生服か。まさか大学入学時に買い替えたわけじゃないよね。洋服はそれしか持たないのか、と思ったが、さすがに口にまでは出さなかった。
 そう言われてから周囲を見回すと、女子学生は皆一様に白のブラウス姿で、ともに示し合わせたように「真面目な学生」を演じていた。そんな中でも日傘を差している女子学生が遠目に映ると「マドンナ」の幻影を見たように感じ、モノトーンの世界に一瞬華やかさが宿るのだった。
 自分の時代でさえこうだから漱石先生の時代はもっと文化的ギャップを感じたに違いない。漱石先生ならずとも「これで君達とお別れかと思うと清々する」という言葉を残して別の場所に行きたくなる気持がよく分る。

 そんなことを考えながらグランド横のベンチに腰掛け、ぼんやりと野球部の練習を眺めていると
「おい、こんなとこで何しとんねん。失恋でもしたんか」とYが声を掛けてきた。「おお、Yか。まあそんなとこだけど、お前こそ何しとんや」。Yの問い掛けには適当に応え、何か用事でもあるのかと話を逆に振った。
「俺な、今度、馬術部に入ろうかと思うとんね。お前も一緒に入らへんか」
「馬術部か。カッコいいな」
「うん、そやけどな。話しよう聞いとったらな、最初は馬の世話せなあかんらしい。いきなりは乗せてくれんらしいんやけどな」
 Yとはその前に地方研究会という文化系サークルに入っていたが、それもYから「入った」と聞き、それならと後追い入部したのだった。
 馬術か。いいね、と少し心が動いたが、「軍事教練で馬に乗って痔になった」と夕食時に笑いながら話していた父の言葉を思い出し、痔になったらかなわんなと思った。決定的だったのは馬術部はカネがかかるという話。馬具その他の購入費が結構かかるらしい。そのために奨学金をもらった先輩もいると言う。

 カネがそんなにかかるならムリだ、と馬術部への入部は諦め、Yのみが入部したが、それまで奨学金は苦学生でなければもらえないと思い込んでいたが、苦学生でなくても、言い換えれば親の収入が多少あっても成績がよければ、どうやらもらえるらしいということをその話で初めて知った。
 それは奨学金の趣旨と違うのではないかと、釈然としないものを感じたが、もしかすると自分ももらえるかもしれないから取り敢えず申請だけはしてみるかと、二回生になった時に申請すると審査に通った。こんなに簡単にもらえていいのかと、またまた釈然としなかったが、それとなく周囲に話を聞いていると奨学金をもらっている学生が案外多くいたので、彼らだってもらっているのだから自分がもらってもおかしくはないだろうと気が楽になり、ありがたく戴くことにした。ただ、その時は卒業後に返済義務が生じることまでには頭が回らなかったが。

  ▽下宿を引っ越す

 前期の授業が終わり夏休みに入る少し前、Nは下宿を引っ越した。最初の下宿先は「平和通り」に面した家の二階で日当たりのいい四畳半だったし、大学にも歩いて行ける距離で何も不満はなかった。強いて上げれば住所が「平和通り」というだけだが、そのことを問題視するものは誰もいなかった。
 この地名から数年前に暴力団が通りを挟んで猟銃で撃ち合った事件を想像する人間はいないだろう。少なくとも県外の人間では。

 地名とは面白いもので「さんずい」が付く地名は水に関係している場所を指すし、「谷」が入った地名はかつてそこが文字通りの谷間だったことを指している。桜や梅、柿、梨などが付く地名はそこが桜や梅の名所だったり、柿や梨がよく穫れた場所を示していることもあるが、逆に、過去の災害等から脱したいという願望を込めて、きれいな植物の名前や美しい名前を付けたり、埋立地は「埋」めるという文字が同じ読みの「梅」に変っていることもあるから「梅」の付く地名が必ずしも梅の木と関係ある場所とは限らない。
 「平和」も同様で、今後はそんな町でありたいという願いを込めて付けられていることが多く、「平和通り」は猟銃発砲事件以後、住民が今後は平和な町になるようにと願い、町名変更を願い出た結果、新町名に変更されたとのことだった。

 引っ越したのは猟銃発砲事件とは関係なく、「風呂敷」が借りていた家で共同下宿生活をするためだった。どういう経緯で彼がそこを借りて住んでいたのかは知らないが、古い一軒家を一人で借りて住んでいた。そこに転がり込んだのだ。「風呂敷」にしてみれば家賃負担が減ることになるし、Nの方は大学院を目指して勉強している先輩と同じ屋根の下で生活するのは受験勉強をするにはいい環境だと互いの思惑が一致した。
「ははは、そうか、ここに来て一緒に生活したいというわけだな。それにしても君は、なんというか変わっているというか、面白い奴だな。いいだろう。ぼくも家賃負担が減るし、君は部屋が広くなっていいか。いや、お化け屋敷みたいな家に来て、後で後悔するかもしれんが。ま、その時は出て行けばいいだけか。はははっ」
 以来、「風呂敷」が九州のQ大学院に進むまでの一年間、二人の奇妙な共同下宿生活が続くことになった。
                                  次回に続く

 


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