社会の内向き化がもたらす危険性(2)
〜内界の拡大による境界の消滅


内界の拡大による境界の消滅

 社会の内向き化は最初は内のもの・ことを外に持ち出すことから始まった。つまり内の外への拡大であり、どこでも自分がいる場所・空間を内と認識する内界の外在化である。そしてそれは内と外との境界の消滅を意味し、このことが我々が住んでいる社会のみならず世界に大きな変化をもたらしつつあることは注意を要するし危険でもある。しかし、それにどれほど多くの人が気付いているだろうか。

 大きな変化は常に小さな変化、取るに足らないような変化として最初現れる−−。社会の内向き化も最初は自分の好きなことを外に持ち出す、屋内でしていたことを屋外でもするというような現象として現れた。例えばウォークマンで歩きながら音楽を聞いたり、携帯電話でどこでも大声で電話したり、自家用車内で化粧をする等の行為として。
 こうした行為に違和感を感じていたのは大人達(古い世代の人達と言い換えてもいい)だが、次第に彼ら自身も波に呑まれていき、内の世界を外に拡大していき、車内で化粧をする程度のことにはほとんど違和感がなくなりつつあり、なんの臆面もなく行い出している。さすがにまだ公共交通機関内でそういうことをする大人は数少ないが、近い将来それもなくなるかもしれない。

かくして内界の拡大はどんどん進み、内と外との境界が消滅しつつある。あらゆるものは一度消滅しかけると加速度的に進んでいくが、境界も例外ではない。例えば壁が壊れたことで、善きにつけ悪しきにつけ、それまでの社会の秩序、道徳といったものまでもが一緒に壊れていくように、音を立てて、いや音もなく境界が消えていき、内界の外在化が加速度的に進んでいる。そう、それはあらゆるものを呑み込み、さらに拡大しているのだ。
 このことは他者と自者(己)の区別をも消滅していき、他を自の境界内部に取り込んでいくことで、自つまり内の境界が外に拡大している。

 内と外の境界の消滅は内界の外在化だが、あらゆるベクトルは逆に内に向かう。内界の拡大だからベクトルは外に向かっていると考えるかもしれないが、その逆だ。本来、外にあるものを内に取り込むことで、内側が膨れ、自然に拡大しているわけで、積極的に外界を侵略しているわけではない。
 例えばいつも自分がいる空間、マイスペースを外に持ち出しているだけで、そこが車内だったり、バスや電車だったりするだけだから、それを外とする認識がない。外界ではなくマイスペースとの認識だから、車内やバス、電車の中で化粧をするのは自分の部屋で化粧をしているのと同じであり、そこには何ら違和感がない(と彼らは感じている)。かくして内はどんどん広がっている。 
                                                (3)に続く

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