地方を旅する面白さ〜徳島の陶板美術に、玉名の手づくり甲冑(1)


栗野的視点(No.768)                   2022年6月23日
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地方を旅する面白さ〜大塚美術館の陶板美術に、玉名の手づくり甲冑
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 4月のGWから旅づいている。4月末日に岡山駅で彼女を迎え、そのまま香川琴平に行き、お決まりの金毘羅参り。本当は四国88箇所巡りをしたいのだが、なかなか叶わないので代わりに金刀比羅宮に参拝。

金比羅さん詣り

 こんぴら名物(?)の階段はシニア世代にはきついが、それでも年配の人が結構登っているのに感心した。金毘羅さん名物の1つに駕籠乗せがあった。初めて見たのは中学の修学旅行で来た時で、客を乗せた籠を2人の男が担いで階段を登って行く姿に感心したのを覚えている。今もまだやっているはずだが、この日は見なかった。仮にあったとしても籠に乗るのはちょっと躊躇われた。まだ自分の足で登れるという見栄ではなく、籠から落ちる怖さの方。役に立ったのがウォーキング用のポール。いつも車に積んでいる内の1本を持ち出したが、杖があるのとないのでは随分違うと実感。

 金毘羅さんに着いた時は昼近かったが、先にお詣りを済ませたので、昼食は階段下まで降りてから。時刻は午後2時過ぎ。あまりの空腹に最初に目に付いた店に入りかけたが、店内に客が1人もいなかったのでやめて次の店へ。時間を考えれば客がいなくても当然だが、客が誰もいないと店の味が不安になる。かといって待つのは嫌いだから行列に並びたくはない。ほどほどの所がいいのだが、このほどほど感を判断するのが難しい。



 次に入ったのは歴史を感じさせる建物で屋根に「虎屋」と書かれた看板が掲げられ、看板の両脇に虎の彫り物が配置されている店。もちろん注文したのは讃岐うどんだ。
 この店、昔は由緒ある旅館だったが、今は本館前の別館を含め建物は閉鎖。管理はどこがしているのか気になったが、仮にどこかが買い取るにしても庭園は残して欲しいし、現代風な建物にするのではなく、歴史的な建物として保存して欲しいものだなどと考えながら、うどんを食べ終わりレジで支払いを済ませながら女将と少し言葉を交わした。
「そうなんですよ。今は旅館はやめましてね。それでもせめて『虎屋』の名前だけは残したいと思いまして、こうして食べ物を出しているんですよ」
「そうですか。名前は大切ですからね。頑張って残して欲しいですね」

 女将亡き後どうなるのか、虎屋の先々が気になったが、最近は歴史を知らない若者がネットの口コミ頼りに隣の店に行列を作っている。SNSやネットを使った情報発信などはしそうにない虎屋は女将の代が最後になるかもしれないな。そんなことを感じながら琴平を後にした。

2分される大塚国際美術館の評価

 翌5月1日は徳島に向かった。かねてから行ってみたかった大塚国際美術館と学生時代の友人に会うのが目的。
 大塚国際美術館に行くと前もって伝えていたが、その時、彼が言ったのは「大塚美術館は評価が完全に分かれるみたいだな」という言葉。どう2分するのかと尋ねると「1回観たらもういいわと言う人と、よかった、何度でも行きたいという人に」とのこと。
 「ふーん、そうか。まあ、俺は大塚国際美術館が目当てだから、感想は観てからにするわ」と答え、午前中一杯、大塚国際美術館で過ごした。

 感想は−−。入ってすぐのシスティーナ・ホールの壁画には感動した。本物を陶板に複製したのだから、素直に「スゴイ」と感じた。それからしばらくは上を見上げる首の痛さに耐えながらひたすら感動の連続。



 しばらくすると著作権の問題が気になった。どうクリアしたのだろうか。了解なしに勝手に複製することはできないはずだし、著作権者の了解を取るのも大変だったのではないか。中には拒否された作品もあるだろうしなどと考えていると「著作権者の了解を取るのが大変だった。中には著作権者が不明なものもあり、長い年月がかかった」という趣旨の説明文があり納得。

 午後、近くのホテルで友人と会い1時間余り歓談。「どうだった」「うん、展示方法を考えた方がいいと思ったな。作品が多すぎて全部一度に観るのは大変で、終わりの方は疲れて、観るのはやめたよ」
 期間ごとにテーマを決めて展示されていれば、今度はあれを観に行こうとなり何度もリピートしたくなるが、あまりにも欲張り過ぎというかサービス精神旺盛で全部展示し観せてくれるものだから、終わりの方は少々食傷気味。駆け足鑑賞になったのがなんとも勿体なかった。

淡路島は変化し続けている

 友人と別れた後、鳴門の渦を見ることもなく、大鳴門橋を渡って南淡路島に着いて1泊。翌日は北淡路島に向かい県立あわじ花さじき、国営明石海峡公園で花の撮影を楽しみ、夕方には岡山県北東部の実家着というコース。
 北淡路島までは岡山県北東部から2時間余りで行けることもあり、昨秋のコスモスの時期、今春の菜の花に続いて3回目。丘一面に広がる花の景色を彼女に見せてやりたいと思っていたが、今回は端境期に当たったのかポピーの花が丘一面を埋め尽くすという光景には出合えなかった。
 そこで花さじきは短時間で切り上げて国営明石海峡公園に移動した。この時期はネモフィラが広がっている景色が見られるはずだったが、少し前の風雨にやられ無惨な姿に。それでも他の花々をゆっくり楽しむことが出来たのでよかった。

 淡路島は花とタマネギと断層だけではなく、最近は若者人口が増えていることで注目されている。パソナグループの移転によるもので、移転は一部の部署だけではなく本社機能そのものが丸ごと移転してきた。そう、よくある研究開発部門だけを移転し、「地方移転」などとPRする企業が多いが、同グループは総務部も移転。そのため社員の移住も進み淡路島の人口が増えただけでなく、北淡路島の景色が変化し、地元には歓迎する声と戸惑いの声の両方が聞かれる。

 戸惑いはパソナグループの移転、施設建設が急すぎたことによるもので、もう少しゆっくりと進めてよかったのではないかと感じた。「ニンゲンノモリ」などのテーマパーク的な施設建設により、若者を中心とした観光客は増えているが、その一方で景色が変わり、地元住民や自然の風景を楽しみに来る人達は違和感を持つかもしれない。下手すればパソナグループによる囲い込みのような地域になる可能性がないとも言えないので、時間をかけて地元に人も会社も溶け込むような関係を築いて欲しいものだと感じる。
 10年後の淡路島はどうなっているだろうか。東京ディズニーランドや大阪のユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)のような場所になっているか、それとも地方に溶け込んだ地方再生のモデル地になっているか。
                              (2)に続く

 


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