「コロナ」が変えた社会(Z)〜世界はファッシズムに向かう(5)
ファッシズムの主役は大衆


ファッシズムの主役は大衆

 かつての「隣組」的な監視、取り締まり行動に出る大衆と、「反コロナ派」の信者。どちらが厄介かと言えば後者だろう。前者の行動の背景にあるのは不安感情で、後者は不満感情。
 どちらもファッシズムに通じる、あるいはファッシズムを受け入れる素地があるが、前者は不安が払拭されれば、そのような行動に走った熱も冷めていく可能性が高く、集団的な行動はほぼない。

 対して後者は思い込みが強く、集団を形成する傾向が強いため、一度思い込むと、その考えや行動から解き放たれる可能性は極めて少ない。
 これはセクト(宗派、教派)集団に共通してよく見られるが、思考のベクトルは内に向かって強くなっていくのが特徴で、集団外の他者に対しては攻撃的になる。
 自分達以外の論理は一切認めないし、自分達のみが覚醒しているという思い込みが強いからだ。

 こうした現象を目にするのは何も今回が初めてではない。かつては日蓮宗の新興宗派にも見られたし、1970年代には「連合赤軍」が、90年代にはオウム真理教を想起させる。
 いずれも思考が内向きになり、自分達の論理を振りかざし社会に反発した点では共通しているが、現代に通じる流れはオウム真理教集団だろう。
 この「宗教」集団の主要構成メンバーは高学歴者で、現職の弁護士、医師などがおり、一般的には科学的、論理的、客観的な思考ができると考えられていた職業の人達なのに、たった一人の狂人の「教え」を信じ込み、その指示に従って大量殺人まで犯したことはまだ記憶に新しいだろう。

 トランプ信者の思考は彼らとよく似ている。集団外の情報はすべて間違い、フェイクニュースで、自分達のみが真実を知っているという思い込み。真実を知らない人達を導かなければならない、彼らを「真実」に覚醒させなければならない、そのために行動しよう、となる。

 これはセクト集団に共通した心理で、少しでも過去の歴史を知り、歴史から学んだ者の教訓ではないだろうか。しかし、歴史は繰り返す、喉元過ぎればと言われるように、歴史に学ばないのも人間の悲しさ、愚かさ。

 人々がなんとなく感じている不安、不満に乗じて現れる者がいるのも過去の歴史が示す通り。ヒットラーは過去のこと、他国のことと捉え、自分達とは関係ないと思い込むところに怖さが潜んでいる。
 人は不安な時代に強いリーダーの出現を待ち望む。正義の使者ではなく、自分達を強い言葉で導くリーダー、自分たちの利益を代弁するリーダーを。
 そこにファッシズムを受け入れる土壌がある。そしてリーダーの意向を忖度し、民衆自身が隣人を監視していく「1984年」の世界が今、世界各地で出現しつつある。
 ジョージ・オーウエルが小説「1984年」の結末で描いたように、人々は上から押し付けられたのではなく自らが選んだと思い込み、最後は喜びさえ感じながら死んでいくソフトファッシズムの怖さが今そこに迫っているーー。

 COVID-19が沈静化した後、人々は自由を奪われた窮屈な社会を目にするかも分からない。その時「これは違う」と叫んでも遅いだろう。彼らは「ウイルスとの戦い」の前に沈黙を守っているのだから。



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