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免許返納する高齢者、オープンカーを買う高齢者(1)
〜免許「返納」する高齢者


栗野的視点(No.770)                   2022年7月15日
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免許返納する高齢者、オープンカーを買う高齢者
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 多様化する社会、と言われるが、この頃そのことを実感させられた。今や「〇〇だから」と年齢や性別、職業などで一括りにして論じることはできない、ということは理解していたが、実感するまでには至ってなかった。だが、つい最近、高齢者でもこれほど考え方が違うのかと実感させられたことがある。

免許「返納」する高齢者

 車に関する話題で、相手はともに70代半ばだから、立派な高齢者。高齢者と聞けば、運転弱者とほぼストレートに結び付きそうだが、それはメディア等で作られた図式で、一概にそうは言えないし、そういう見方は危険ですらある。
 もちろん最大公約数的には「高齢者=運転弱者」という図式は成り立つかもしれないが、つねに最大公約数でもの事を見たり、メディアが報じる内容を鵜呑みにしていると、多様な見方が出来なくなるからだ。

 それにしても高齢者の運転事故と言えば「ブレーキとアクセルの踏み間違い」という「社会的認識」が作られつつある。しかし、実際のところは分からない。当事者が「ブレーキとアクセルを踏み間違えたようだ」と言っている(言わせられている)だけで、それを科学的、客観的に実証した結果はない。

 仮にそれが事実だとしても、本来なら踏み間違いが起きる構造こそが問題で、その構造を変えようという方向に向かうべきだし、他の事故の場合はほぼ製造者、生産者責任が問われている。
 にもかかわらず車の場合だけは製造者責任を云々する声は全くなく、全て運転者の責任にされているのは、なんとも理解しがたい。
 操作ミスを招きやすい配置なら配置を変えるべきで、操作する人間の技術に転化するのは、どう考えてもおかしい。

 おかしいと言えば、上記の論理に基づき「高齢者=運転弱者=免許返納」という図式を描く国と、その尻車に乗って世論を誘導するメディアだ。
 なぜ製造責任の追及ではなく運転者のミスという属人的な原因に矮小化するのか。

 さらに解せないのは、メディアの論調に踊らされ、従順に「免許返納」する高齢者だ。同年代でも「免許返納した」と嬉々と(?)して話す者がいる。
 ところで「返納」ってなんだ。「返して納める」ということは「お上から与えられた」ものをお返しいたしますということに他ならない。
 車の運転をしないということなら、次の更新時に更新しなければ自動的に免許は失効する。それをわざわざ「返納いたします」と、頭を下げて持って行くとは、なんとも理解しがたい。
 自家用車を持っているから運転する、ということなら廃車にすれば済むことだし、実際そうした人も知っている。
 これらの手段ではなく敢えて「返納」しに警察署に出向く理由は何なのだろう。余程意志が弱くて運転免許証を持っていれば車を運転してしまうから、そうならないために「返納」しているのだろうか。私の知人の中には自家用車を所持していないのに「免許返納」した者もいるが、そうするのがブームだからか。どうもよく分からない。

 「ブレーキとアクセルの踏み間違い」問題は本来、自動車メーカーに構造面の変更を求めるべきだろう。だが、そういう方向に行かずに「自己責任」問題に向かうところに問題があるし、そういうことに何も感じないことの方こそが問題だと思うが。
                            (2)に続く


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