なぜ、企業は営業教育を疎かにするのか。(1)
〜「イエス話法」も教育せず現場に出すのか


 相変わらず痛みに耐える生活を続けている。横になったり、椅子に座ったりを繰り返しながら痛みを紛らわすようにしているが、なかなかそうもいかず困っている。
 そんな時、1本の電話があった。固定電話にかかってくるのは大抵何かのセールス電話と決まっているから、普段は留守電にしていてほとんど出ないのだが、この時は気を紛らわしたいという気持ちも手伝い、近くのコードレス子機をつい取ってしまった。
「○○ですが・・・」
 受話器の向こうからおっとりした調子の小さな声が聞こえてきた。若い女性のようだったが、最近は貴金属の買い取りや外壁、屋根工事、カード会社からの保険勧誘電話にNTTの光回線を携帯電話とのコラボ回線に変えないかという勧誘等々ばかりだから、この時もその類だろうと思った。

 ○○の部分はよく聞き取れなかったが、電話の声の調子からまだ不慣れな新人だとは推測できた。
「株とか社債に興味はありますか」
「社債? 国債なら買っているけど」
「はい、△△の社債なのですが」
 と相変わらずおっとりした調子で話す。証券会社の営業ならもう少しテキパキ話すから、どこぞの怪しげな会社かと思い、メモ用紙を取り出し先方の社名を確認した。
「M証券です」
 大手銀行系の証券会社で、銀行と同じくひらがな3文字が付いた証券会社だった。
「証券会社もいろいろ電話があるけど、Mからかかってきたのは初めてだね」
「そうなんですか
。Sグループの社債なんですが、国債よりは利率がいいですよ」
 う〜ん、やっぱり新人だね。そんな喋り方ではすぐ断られるだろう、と思いながら、しばらく相手をすることにした。
「Sねー。ぼくSは嫌いなのよ。儲かっている時だって株主配当せずに自分のとこだけに金を貯めたしね」
「最近は子会社のケータイ会社が調子いいですよ」
 そんな会話を数分した後
「やはり債権には興味ありませんよね」
 と言って話を終わりにしかかったので、それで電話を切ってもよかったのだが、またまたお節介心がむくむくと湧いてきた。

「君、新人だろ」
「はい、入社2年目です」
「名簿か電話を見て、かけてきているんだろ。上から順に電話をかけるんだ、と言われて」
「はい、その通りです」
「新人の内はセオリー通りにやるからね。だからどこでも新人に電話させるんだ。下手な鉄砲も数打つ撃ちゃ当たるじゃないけど、ただ電話すればいいってもんじゃないよ。電話でも営業でも”イエス話法”が基本なんだから。教えられてない?」「いや、聞いたことありません」
「客というか人は相手の言葉を否定するのはエネルギーがいるんだ。”はい”と頷く方が楽だから、相手が”イエス”と言えるような質問の仕方をしなければ。それが”イエス話法”と言うんだよ」

 余計なお世話と思いながら、つい電話口で新人教育をしてしまった。もう少し話すテンポを上げた方がいい。声は明るく、などと、なぜ私が教えなければならないんだと思いながら。
 イエス話法で話すなら、相手が
「国債は買ったことがある」
 と言った段階で
「それなら社債にもご興味がおありですね」
 と続ければ、客は「そうだね」と答える。つまり「イエス」を選択する。
「今回のSグループの社債はとても人気があり、いつも売り出すとすぐなくなるほどです。国債より利率はいいから、国債をお買いになられているならS社債に資金を回された方がいいと思われるでしょ」
「銀行に預金していても金利はほとんど付かないから、確かにその方がいいよね」

 肯定的な質問を発すれば相手は知らず知らずの内に「イエス」を選択していくことになる。ところが、先の新人女性が最後に発したのは
「やはり社債には興味ありませんよね」
 という否定を含んだ言葉だった。
 相手はそこで頷く(肯定する)方が楽だから、ここでも「イエス」を選択する。それは「興味ありません」、つまり「社債は買わない」という返事になる。
 イエス話法というのは「否定的な質問をしない」ということであり、営業話法の基本なのだが、どうやら最近、企業では営業の基本すら教育してないようだ。
                                     (2)に続く


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