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どこか薄気味悪さを感じる「令和」フィーバー


栗野的視点(No.645)                       2019年5月13日
どこか薄気味悪さを感じる「令和」フィーバー

 ゴールデンウィークの10連休、事前予想は大混雑、あるいは混雑は分散などと分かれていたが、結果は分散で例年より混雑は少なかったというのが個人的な印象だった。
 実際、私が出かけたヤマサ蒲鉾工場(姫路市。芝桜の時期のみ一般公開)、藤公園(岡山県和気町。岡山県下では藤の花の名所といえば最初に挙がる)、姫路市のテーマパーク・太陽公園はGWだから特に混んだという感じはなかった。
 極めつけは6日の高速道路(中国道)。いつもの週末より上下線ともに車は少なかった。途中、サービスエリアで混雑程度を尋ねたが「ピークは3日、4日ですね」とのこと。「今日(6日)はちょっと少ないのでは」と水を向けると「正直ちょっと期待外れですね」と苦笑い。それほど車が少なかった。

 九州では3日4日の「博多どんたく」の人出が全国ニュースでもよく取り上げられるが、今年はどうだったのだろうか。岡山県にいると、その辺の情報が伝わってこないので、どの程度の賑わいだったのか分からない。というより、帰省中、特に4月5月はTVをほとんど見ていない。観たいと思える番組がないのが主因だが、もう一つは元号変更に便乗した「令和」フィーバーともいう現象に辟易し、TVのスイッチを入れなかったこともある。
 どのチャンネルに替えても「平成最後の」「令和最初の」で始まるし、4月末日はまるで大晦日のカウントダウンにも似た騒ぎ。それを延々と放映し続けるTVにはある種の気味悪ささえ感じたものだ。

 それにしても、この国は「横並び」「皆さんご一緒」が好きなようだ。一時期、「脱横並び」が唱えられたが、気が付けば相変わらずというか、同質化はさらに進んだように感じる。企業活動ですら「横並び」は顕著でコンビニエンスストア(コンビニ)は地域に関係なく一律24時間営業(「お上」から「力」が加わり、やっとこの頃見直す素振りを見せてはいるが)だし、通信料金は大手3キャリアはほぼ同じ料金体系。それを打破すべく登場した格安SIM取り扱い業界も料金、サービスともほぼ横並びになってきている。
 さらに品質検査不正まで自動車、鉄鋼、油圧機器、住宅業界と横並びで行われているに及んでは、この国は一体どうなっているんだと思わない方がおかしい。

 TVのワイドショーが横並びで各局同じ情報しか流さないのは今に始まったことではないが、その傾向はますます強まっている。テレビ朝日などは自らがTV局という意識すらなくしているようで、「今ネットで最も見られている情報をランキング形式で」届けると昼の番組内で紹介している。
 これはリツイートと同じで、後追いどころか同じ情報の拡散でしかない。なんともいやはや、というか、TVの取材力はますます落ちていき、TV離れがますます進むのは当然だろう。

 見ていて尻がムズムズする感覚を覚えるのが、最近増えている「ニッポンっていいな」という日本礼賛番組だ。伝統産業や零細企業の技術にスポットを当てて紹介するのは大賛成だが、やり過ぎると礼賛の裏に何かあるのかと勘ぐってしまう。

 皆で盛り上がろう、という感覚が強くなったのはスマートフォンの普及と無関係ではないだろう。どこでも、いつでも、掌の小さな機械を操作すれば、すぐ何らかの発信ができる。最初の発信者にならなくても賛意を示すことはもっと簡単だ。前の人の情報をそのまま転送しさえすればいいのだから。あるいは「good(いいね)」をクリックしさえすればすむ。
 ちょっと前なら、そうした行動は付和雷同と言われたが、今やこの言葉はほとんど死語同然である。代わりに登場したのが「お祭り騒ぎ」「炎上」「拡散希望」だ。
 「皆で渡れば怖くない」あるいは「皆で騒ぎましょう」と皆が同じ方向を向き、同じ顔で、同じ言葉を発する。そこには個人の考えがない。人だかりを見て、覗き込み、よく分からぬが騒ぐ群集心理のネット版である。

 騒いでスカッとしたい! こうした傾向は以前からあった。飲み会で「イッキ、イッキ」と囃し立て、一気飲みを煽るのもそれだ。不適切行為を動画に次から次へとアップする行為が後を絶たないのもそうだろう。直近では渋谷のスクランブル交差点にベッドを運び寝ていた様子を動画で配信した7人が逮捕された。
 いずれも深い考えがあってやったことではない。ただ、騒ぎたかった、注目されたかっただけだろうが、それだけにこのような風潮が蔓延することが怖い。そうした行為に走らせる背景があるからだ。

 動画配信サイトのユーチューブで動画を配信する人間を「ユーチューバー」と呼ぶそうだ。そしてそれを職業と考え、「将来、ユーチューバーになりたい」と夢(?)を語る子供がいるそうだ。ユーチューブでの配信はもう趣味ではなく職業になっているのだ。何人が自分の動画を見てくれたかが収入になるらしい。
 つまるところカネなのだ。カネになるから、奇抜なことをし、耳目を集めようとする。ここに「フェイクニュース」と呼ばれる「ニセ情報」が流れる背景がある。

 もう一つは鬱積した不満だろう。社会で「好景気」と言われながら、一向に改善しない自分の生活。「勝ち組」「負け組」と分けられてからずっと続いている格差社会。どこかおかしい、なにかおかしい、と感じていたのもむかしのことで、今ではそれさえも感じることなく受け入れてしまい、怒りの矛先を向ける先さえ分からなくなっている。それを見つけることさえ面倒臭くなるほど余裕がなくなれば、刹那の「快楽」で鬱憤を晴らすしかなくなる。
 たった一人の反乱はエネルギーがいるが、皆で騒げば、皆が騒ぐのに便乗するのは楽だ。
 そして皆が同じ方向に向き、小さなことでフィーバーし、盛り上がり、一体感を刹那的に感じる。
 そんな思考停止状態が長く続いた先に待っているものは・・・。私にとっては決して居心地がいい社会ではない気がする−−。


デル株式会社


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