増える「おひとり様」と高齢化社会(3)
〜「老後」をどう過ごすか


「老後」をどう過ごすか

 そういえば数年前、久し振りに会った知人から「青天の霹靂ということは本当にあるということが分かった」と打ち明けられたことがあった。
 前触れがなくいきなり「青天の霹靂」と言われたものだから何の話か分からず「ああ、そう」などと適当に相づちを打ったが、その後の話にちょっと驚いた。
 彼の年は70歳。定年退職後に胃ガン、大腸ガンの手術をしたとはいえ元気で、年3分の1はハワイで過ごすという、こちらからみると羨ましいような生活を送っていた。伴侶は50歳そこそこぐらいではなかったか。もちろん後添えだが、現役の頃は結構、異性がいたようで、今の伴侶も会社の後輩ではなかったか。
 まあ、そんな話はどうでもよくて、ある朝起きたら彼女が「正座して待っていた。普段そんなことはしないのに、その日の朝に限って正座していたから何をしているんだと笑ったぐらいだから」と言う。
 ところが、そのあと彼女の口から出た言葉に耳を疑った。「あなた、私と別れて下さい」と、それこそいきなり言われたと言う。
 「えっ、いきなり! それまでそういう素振りはなかったんですか。普通は何か思い当たることがあったりするでしょ」
 「いや、まさに青天の霹靂ですよ。でも、今考えてみると思い当たることはあったんです。出張で東京によく行っていましたから。でも、それはその会社の業務にとってごく当たり前で、疑うような出張ではなかった。だが色々聞いて分かったのは相手は同級生で同窓会で意気投合し、それから東京に出張する度に逢っていたらしい。彼女の出身地も東京だから、東京で同窓会と聞いても別におかしくもないわけですよ」

 男女を入れ替え、年齢を少し若くすれば、昔よく耳にしたような話と言えなくもない。かける言葉がないというのは、まさにこういう場合だ。そうなる前にどうして気付かなかったのか、と相手に質しても今更遅いし慰めにもならない。かといって笑い飛ばすわけにもいかないし、いやあ、大変でしたね、と言うのが関の山で、後は黙って相手の話を聞くしかなかった。
 ただ、他人事とは思えなかっただけに考えてしまった。もう少し若い時ならまだよかっただろうが70歳を過ぎて1人になるのは一寸辛いものがあるだろう。

 別れ話を切り出されるなら、もう少し若い時の方がよかったよな。そろそろ老境の域に差し掛かろうかという年齢だし、これから互いに支え合って生きていく必要がある時に放り出されるのはちょっと辛いかもな、と思った瞬間、あっ、老境に差し掛かるのは男の方で女性はまだ若く、これから充分やり直しがきく年齢だったと思い直した。

 「おひとり様」でも元気なのは圧倒的に女性。男性は会社勤めを辞めると多かれ少なかれ引き籠もり状態になる。「女房孝行」と思い旅行や買い物に付き合おうとするが、案外それが鬱陶しがられる。
 なんということはない、ついこの間まで男性が感じていたことを、仕事を辞めた瞬間から入れ替わってしまっている。会社人間、仕事人間ほど、組織や職を離れた瞬間から所在がなくなる。
 飲み会にも誘われなくなるし、誘ってもかつての部下からは仕事を理由に断られる。せめて女房殿とはと思って付き合おうとするが、それも迷惑がられるといっそ「おひとり様」になった方がよほど気楽と思うかもしれないが、急拵えの「おひとり様」はとても大変。
 実のところ文字通りの「おひとり様」になってしまうと、今まで掛けていた生命保険の受取人を誰にすればいいのかという問題も出てくる。本人がしっかりしていれば入院・手術費用の申請は自分でできるが、動けなくなった時に代理で医療費等の請求ができるように「代理請求人」という制度があり、その記入も求められる。
 ところが代理請求人も基本は親族。パートナーがいても未入籍の相手ならなにかとうるさい。保険金の不正請求防止のためだろうが、同性婚が認められようという時代でもまだまだ古い常識がまかり通っている。
 「おひとり様」生活を楽しめるのは40代、50代が旬。60代もそこそこ楽しめるが、それ以上になった時はどうするか。「人生は夕方から楽しくなる」と気楽な「おひとり様」を決め込むか、それとも多少の我慢を強いられても現状維持で行くか。否応なくいろんなことを考えざるをえない年代の人口が増えてきたことだけは間違いない。



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