エクスパンシス

 


カルロス・ゴーン問題、新自由主義への決別になるか(1)


 11月19日、日産自動車のトップ、カルロス・ゴーン氏が東京地検特捜部に逮捕された。逮捕容疑は有価証券報告書の虚偽記載ときたから、逮捕当初は誰もが首を傾げたに違いない。企業トップが逮捕される程のことなのか、と。それ故、直後からゴーン氏に対する論評が2つに割れた。擁護派と、それ以外派に。
 ゴーン氏の罪状に対する詳しい内容はおいおい明らかになってくるだろうが、現段階で彼に対する評価の多くは「功罪相半ば」というところだろう。後は「功」と「罪」のどちらの方が多いと考えるかによって論評の仕方が変わるぐらいではないか。

毛沢東の評価と重なる部分も

 今回の逮捕ですぐ頭に浮かんだのがなぜか毛沢東だった。毛は中国革命の指導者、建国の父なのはよく知られている通りだ。そのため今でも彼を崇拝している中国人民は多い(特に年配者の中に)。これは毛の輝かしい功績の部分である。
 だが、建国10年後に発動した「大躍進」政策の失敗で数千万人とも言われる餓死者を出し、さらに66年から始まった「文化大革命」で国内を大混乱に陥れたのは毛の「罪」、負の側面である。
 それでも中国の古い世代は農地開放を行ってくれた毛をいまでも崇拝している。カネがすべての今の時代より、貧しくても皆が平等だった建国直後の時代を懐かしむ感情とともに。そして中国共産党も正史では「後年一部誤りはあったが中華人民共和国を建国した功績はそれ以上に大きい」「功績7分、誤り3分」と評価している。

 功罪相半ばどころか、7:3で功績の方が大きいとしたのはなぜか。1つには中国革命を勝利に導き、建国した指導者を否定すれば、中国共産党の歴史の一部否定に繋がり、現在の政治指導体制の正当性が失われると考えたからだろう。
 もし7:3ではなく、3:7、4:6で誤りの方が多いとすれば、党体制が疑われてしまう。指導者の誤りを長期間に渡り党は見過ごしてきたのか、と。そうなれば中国共産党の無謬性が疑われ、人々は党の指導に従わなくなる恐れがある。それを恐れたのだ。
 もう1つは人民の間の毛沢東人気である。とにかく毛は人気があった。今の若い世代は別として、とりわけ革命世代には圧倒的に人気があった。それは毛に私利私欲がなく、多くの独裁者のように私腹を肥やさなかったからである。自らの一族を守るどころか、彼は息子の命まで革命に捧げているのだ。そのことを人々が知っているが故に「後年一部誤りはあったが、功績はそれ以上に大きい」という評価になっているのだ。
 ゴーン氏と毛沢東は前半と後半で評価で逆転したという意味でも、ともに権力に執着したという意味でも妙に重なって見える。

ホームレスを招待したローマ法王と
ベルサイユ宮殿で披露宴を行った男


 私腹を肥やさない、私利私欲に走らない、ということはリーダーにとっての重要な条件であり、名経営者として評価されるか否かの別れ道でもある。
 かつて中興の祖と言われた経営者が晩節を汚したり、後に鞭打たれるように追われる様を時折目にするが、彼らに共通しているのは「公私混同」と「私利私欲」である。
 加えて、権力の座に長年座り続けていると、周囲にいるのは諫言ではなく甘言を弄する人間ばかりになり、まるで神にでもなったような気になって独裁を恣(ほしいまま)にしだす。やがて自分の財布を持たなくなり、全ては会社の経費という公私混同が罷り通っていく。

 さてカルロス・ゴーン氏である。彼が日産自動車を倒産の危機から救い、業績をV字回復させたのは誰もが認めるところだろう。その手法に異を唱える部分はあっても、だ。
 ゴーン流の経営は「コロンブスの卵」と同じで、「あそこまでドラスティックにやるなら日本人経営者でも立て直せた」という声は当時もよく耳にした。だが、日本人経営者にはそれ(人員整理、工場閉鎖、ケイレツ見直しによる部品単価値下げなどを含む徹底したコストカット)ができなかったのも事実だ。

 しかし、「情」のない経営者は「人」を見ていない。彼らが見ているのは「人」ではなくモノ。モノだからコストと考え、簡単にカットできる。もちろん、そのことで自分が「痛みを感じる」ことは微塵もない。カットしたのは「モノ」なんだから。
                                              (2)に続く


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