「怒り」の感情を忘れた団塊の世代に問いたい。(2)


 60年代なら間違いなくデモが起きていただろうと思われる、田中前理事長の日大私物化と不正問題に学内から怒りが渦巻かないのはなぜなのか。日大教職員も学生も己のことしか眼中にないのか、それともすっかり飼い慣らされて怒ることさえ忘れているのか。

 日大をめぐる不正問題は3か月も前から捜査の手が入り、11月29日には田中前理事長が逮捕。そして日大が会見を初めて開いたのが12月10日。加藤直人学長は「前代未聞」「強い憤りを感じる」と述べたが、対応はあまりにも遅すぎるし、文科相でさえ「社会から十分な理解が得られたとは到底思えない」と苦言を呈する会見内容であったが、日大の対応を擁護する見解を述べたスポーツライターがいたことには驚いた。

 この会見を見聞きする限り日大に自浄作用が働くとはとても思えない。「理事会そのものが形骸化し、報告会のような形になっていた。大きな問題点だった」というのはその通りだが13年間もそれを放置してきた加藤学長を含む理事の責任についてどう考えているのだろうか。
 なにか不祥事がある度に似たような謝罪会見が企業で繰り返されるが、いずれも経過報告、事情説明みたいなもので、再発防止体制についてはほとんど触れられない。これでは舞台を変えるだけで同じ問題が繰り返し起きるのは当然だろうと思ってしまう。

 もはやこの国には義憤、公憤という言葉すらなくなっているのかしれない。かつて義憤、公憤を感じた者もいたであろう団塊の世代も今ではすっかり精神的に老いてしまっている。
 もちろんそうでない者も多数いるだろうが、彼らが若かった当時でさえ、意思表示を明確にせず、「怒り」から距離を保ち、傍観を決め込み、その後大企業に入ってそこそこの地位を得、安泰の生活を送ってきた者もまた多い。そのことをとやかく言うつもりはない、道は人それぞれだから。
 だが、日大の田中前理事長の年齢が75歳で、日大卒業後、大学職員になり、相撲部監督として実績を残し、学内外で権勢を誇っていったのを見ると、「団塊の世代」とひとまとめで言いたくはないが、それでもその世代の責任感を問いたくなってしまう。あなた達は「飼い犬」になってしまい、吠えることすら忘れたのか、と。


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