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曖昧になっていく内界と外界、境界の関係について(1)
〜境界を拡大してきた人間界


 一体いつから世界はこうなりだしたのだろうか。内界と外界の境界がどんどん崩れている。かつて内と外との間には明確な境界があった。それは「縄張り」とか「テリトリー」あるいは「結界」と呼ばれ、その境界は犯すべからざるものであり、それを犯して侵入すれば争いになった。それがいつの間にか曖昧になってきている。

 もちろん境界がなくなるのは悪いことばかりではない。個や集団、領土を超えて結び付くのはいいことだ。しかし、いま地球上で見られる境界の崩壊はその逆で、内界と外界がせめぎ合い、両者の境界が曖昧になっている。そして、そうなることで争いが頻発し、激化しているのだ。個と個の間、集団と集団の間、国と国の間、あるいは個と集団、集団と国の間、それらが複合的に絡みながら。

境界を拡大してきた人間界

 例えば自然界。この1年に限って見聞きするものを挙げていくだけでも境界が崩れてきたことを実感するはずだ。かつては地方の山中でしか見かけなかった鹿や猪が今、人が住む里に出没するどころか、ごく普通に姿を見かけるようになっている。それどころか熊までが平然と住宅地を闊歩する姿がTVに捕らえられて放映されている。もはや動物界と人間界の境界はなくなりつつあると言っていいだろう。
 これに関しては耕作放棄地が増え、人間の姿が消えたため、動物が人間に怯えなくなり里にまで出没すようになったとか、山に木の実などの食べ物がなくなったので里に降りてきて、食べ物を漁りだしたなどという説明がなされている。いずれも間違いではない。いや、正しいに違いないが、解は一つではなく、それらが複合的に絡み合った結果と言える。

 ちょっと視点を変えてみよう。動物界には異種間、同種間でも互いのテリトリーがあり、それを犯して侵入すると相手から手厳しい反撃を受けるというのはよく知られている。同じようなことは動物界と人間界の間にも存在していた。
 だが自然界で最も遅く現れたにもかかわらず、ホモサピエンスは自分達が霊長類の王と思い上がり、他との境界を尊重する代わりに、無視し、他のエリアに侵食して行った。
 それでも初期の頃は共存を目指し、時に進出することはあっても、境界を広げるということまではなかったが、年代を経るとともに傲慢、横暴になり、他生物のテリトリーに暴力的な手段で侵攻し、侵攻したエリアを自らのテリトリーとし出した。人間界による境界の拡大である。
 森を焼かれ、ブルドーザーで山を切り開き住宅地にし、そこに人間たちが移植してきても、土地の先住種たる動物達は遊牧種であることも関係し、先住権を主張する有効な対抗手段を持っていなかったが故に、ただ追われるがままに人間界との境界を後退させざるを得なかった。
 だが、「驕る平家は久しからず」で、時代を経ると立場が逆転し、住宅地の後退に伴い動物界が彼らのテリトリーを取り戻し、境界を人間界に拡大し出している。

 しかし、これはまだマシな例だろう。アマゾンではいまだに人間界が境界の拡大を続けようと森林を焼き、畑に変えている。しかも、そのやり方が容赦ないものだからアマゾンの環境は一変しつつある。
 その結果がCO2の増加(アマゾンの森林縮小がすべてではないが)であり、地球温暖化の一因にもなっている。そして地球温暖化はいまや世界各地で目に見える形で現れている。米カリフォルニアやオーストラリア等ではここ数年、森林火災が相次いで起きているが、いまや森林火災はカリフォルニアにとどまらず全米各地で起きている。
 こうした状況を目のあたりにすればグレタ・トゥーンベリさんならずとも、このままいけばそう遠くない将来に現代文明は終焉を迎えるのではないかと危惧するのではないだろうか。
                                          (2)に続く


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