栗野的視点(No.815) 2023年12月24日
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虫の知らせ、というわけではないが・・・
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カンがいい方ではない。ましてや予知能力なんてものはないし、そういう類は信じていない。でも、あるといいな、という憧れみたいな気持ちはある。
だから「虫の知らせ」なんてものは信じてもいない、のだが・・・。
10月、岡山県の実家に滞在している頃、ある人のことが気になり、福岡に帰れば連絡して食事かコーヒーにでも誘ってみようと考えていた。
彼、Y氏と最後に食事をしたのはもう7、8年前になる。その時、夜の外出は無理だが昼食ならと言われ、車で自宅マンション前まで迎えに行きイタリアレストランで食事をしながら小1時間楽しく会話をして過ごした。
それまでも誘われて数回食事をご一緒したことがあったが、その時は繁華街で夜、軽く飲みながら情報交換をし合ったり、雑談に興じたものだ。
だから夜ではなくランチを、と言われた時は少し意外な気がした。身体でも壊されてアルコール類がダメになったのかと。
話しているうちに問題はご本人ではなく奥さんの方にあると分かった。どうやら奥さんが認知症になり、昼間はまだしも夜は目が離せないらしい。
それは大変ですね。デイケアに通われてるんですか。ヘルパーは頼まれてるんですか、と尋ねると、現役時代は家庭のことは家内に任せきりで迷惑をかけたから、家内の面倒は自分で看ている、とおっしゃられた。
私がお袋の世話をした経験からいっても男が一人で世話をするのは大変ではないか。それまで料理をした経験等があるならまだしも、そういうことも一遍に降りかかって来るから、罪滅ぼしを兼ねて自分が世話をしたいという気持ちは痛い程分かるが、下手すると共倒れになる可能性がある。
そう感じたから「お気持ちは分かりますが、他人の手を借りるのも1つの方法ですよ」とだけ伝えた。
以来ずっと気になっていたが、毎年の年賀状にも、時々届くメールにも内々のことは一切書かれてなかったから、気にはなっていたが、それほど心配する状態ではないのかもぐらいに思っていた。
Y氏は地元放送局の元報道部長で、私が知り合った時は退職されてからしばらく経っていたと思うが、互いにジャーナリズムの分野で仕事していたという共通点もありお互いにシンパシーを感じていた。また私のメルマガにもよく目を通されているようで時に感想をメールで頂いたりする間柄になり、一緒に仕事をしたことはないものの、私にとってはよき先輩という感じだった。
それが今年届いた年賀状に「家内の介助で外出ができず」「一度雑談をしたいものです」と手書き文字が認められていたのを拝読し、まだご自分で奥さんの介護をされていたのだと知った。
それは大変だ。私がお袋の世話をしていた時は同居ではなく、2か月ごとに福岡ー美作を行き来しながら、お袋の世話をしていた程度だが、それでも吊り橋の上を歩いている時フッと飛び降りそうになったことが何度かあったぐらいだから同居して24時間介護されていれば相当参られているのではないだろうか。少しの時間でも外へ誘い出し、話を聞いてあげれば気分転換になるのではないだろうかなどと勝手に考えていた。
そう思いながらなかなか実現できずに来たが、10月になって突然Y氏に会いたいという思いが頭を占めた。
帰福数日後の12月15日、朝9時になるのを待ってケータイ番号に電話した。何度かの呼び出し音の後、電話口から女性の声で「この電話番号は使われておりません」というメッセージが聞こえてきた。
なんだ、番号を間違えたか、と思い再度番号を入力したが結果は同じ。
???
それならと自宅の固定電話にかけた。ところが呼び出しても誰も出ない。代わりにFAXに切り替わる着信音がしたが留守電にならない。これではメッセージを残すこともできない。
仕方なくメールを送った。だがメールはいつ見られるか分からないから、Y氏からいつ連絡があるか分からない。やむなく2、3日待ってみようと考えた。だが、根が心配症でお節介焼き。こういうことはすぐ対応しないと気が済まない。
もし自宅を訪ねて何もなければ、取り越し苦労だったと笑って済むと考え、昼食後、自宅マンションを訪ねた。
お元気でしたか。いや近くに来たものですから、どうされているかなと思い寄ってみました。
そう言ってしばし談笑して帰れば、それでいい。
インターホンを押したが、反応はない。外出中かもしれないと思い帰りかけたが、どうも気になる。同じ棟の人なら消息をご存知かもしれないと思い、棟を訪ねた時姿を見かけた1階の部屋のインターホンを押して尋ねた。
「先月お亡くなりになられたんです。急で私達もビックリしたんですよ」
そう言われてこちらもビックリした。年賀状にもメールにも体調の悪さを感じさせるようなことは一言も書かれてなかったからだ。
ただ、その人が子供か孫か分からないが最近同居している人がいると教えてくれたので、数日後の土曜日に再度自宅に電話した。
電話口に出た相手は姪だと言い、10月17日に歩行中突然苦しくなり救急車で入院。検査の結果肺がんで肺に水が溜まっており、余命半年余りと医師から告げられたが11月上旬に亡くなったと教えられた。
肺がんの予兆はなかったらしい。もともと心臓が少し悪く、その日も心臓の定期検査に行っている途中で具合が悪くなったらしい。
亡くなられたのは入院から22日後。あまりにも急すぎるし、本人も身内の方もこんなに早く亡くなられると思ってなかったようで、姪御さんが同居し出したのもY氏の入院後。
本人も姪御さんも一度退院できると考えていたみたいで、一時退院の時に身の回りのことや後々のことを説明するからと伝えていたようだが、そんな間もなく亡くなられたので姪御さんはどこに何があるのかもさっぱり分からず困惑していると言われていた。
聞けば市内東区の家には義母もいて、そちらの世話もあるらしく、もう何から手を付けていいのかという感じだったので、自宅にお邪魔してお悔やみを申し上げるのは諸々のことが片付いて少し落ち着かれた2月頃にでもお邪魔しましょうと告げて電話を切った。
ただ気がかりなのは奥さんのことで、そのことを尋ねるとY氏が入院する数日前に施設に体験入所させたらしいが、本格的に入所施設が見つかるまで体験入所期間を延ばしてもらっているとのことだった。
認知症はかなり進んでおりY氏が亡くなったことも分かっているかどうか、と言われていたが、その方がかえってよかったのではないかと思った。生前の楽しい思い出だけに包まれて過ごせるから。
10月中旬、帰福したらY氏に会いたいと私が思ったのは、果たして「虫の知らせ」だったのだろうか。
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