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地名が面白い
西播磨に「月」の付く地名が多いのはなぜ(3)



読みが転じていき、当て字に

 そこでさらに古い資料を当たっていくと、ようやく地名の謎(謂れ)が解けた。
「播磨風土記」の讃容(さよ)郡中川(なかつがわ)里の条(くだり)に弥加都岐(みかつき)原とい出てくるのだ。
 仁徳天皇の時代で、奢っていた伯耆(ほうき)の加具漏(かぐろ)と因幡の邑由胡(おゆこ)らに狭井連(さいのむらじ)佐夜(さよ)を遣わして、一族とともに捕縛させ、連れ帰らせた途中、水中に漬けて苦しい目に遭わせたというのだ。

 伯耆と因幡といえば今の鳥取県である。それを捕らえて大和朝廷まで連れて行く途中、兵庫県で水漬けにする罰を与えたというからスゴイ。
 なにがスゴイかといえば、まず鳥取県から奈良県までという長距離連行が1つ。もう1つは途中で水攻めの罰を与えるという残虐性。いくら地方の豪族が贅沢三昧を尽くしていたからといって、奈良から伯耆まで成敗に行っただけでなく、捕らえて連れ帰るのかと驚く。
 鎌倉幕府も熊本県八代・五家荘や宮崎県椎葉村という秘境まで平家の落人を追って行っているから、昔の人間の方が現在よりはるかに執念深かったようだ。それとも現在でも同じか。私などはそんな果てまで追って行くのはとっくに諦めるが。

 人間の執念深さは別にして、因幡街道を通り西播磨に至ったところで伯耆から連れ帰っている豪族を水攻めにした場所が「弥加都岐(みかつき)原」と言われている。これが後に密月、細月(みかづき)と転じ、現在は「三日月」の文字になったようだ。また水に漬けた(みかづけ)が転じて三日月になったという説もある。
 ロマン溢れるかぐや姫伝説や、お月様との関係はなかったが、「播磨風土記」にまで辿り着き、三日月町の地名由来は分かった。

上月の地名は武将の姓から

 次は上月。この地にも上月城という城があるが、播州は中世に赤松氏一族が守護として権勢を誇っていた。その一族に上月氏がおり、1336年(延元元年)に大平山城を築き、これが上月城と呼ばれた。
 そう、上月の地名は上月氏の姓から来たものだったのだ。

 三日月も上月もともに古くからある地名だったが、片方は弥加都岐原が後に密月、細月、三日月と当て字され変わっていったもので、もう一方の上月はその地に権勢を奮っていた上月氏の姓が地名になったものだと分かった。

 当初、西播磨地区にはなぜ「月」が付く地名が多い(といっても2箇所だが)のかという疑問はロマンや夢とは関係ない方向で決着が付いたが、由来、成り立ちを調べていくだけで随分色々なことが分かった。
 それにしても地名は面白い−−。

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