過剰生産こそが問題(4)
〜捨てないパン屋


捨てないパン屋

 ミヒャエル・エンデが「時間を盗んでいく」「灰色の男達」の存在を「モモ」で明かしたのは1973年。もう44年も前のことだが、私達はいまだ「時間泥棒」から時間を取り戻せていない。
 だが、そう悲観的にならなくてもいいかもしれない。田舎でほぼ自給自足の生活を楽しんだり、「捨てないパン屋」を開業している小さな「モモ」が一人、二人と若者達の中に現れだしている。

 彼らはモノを持つことではなく、時間を持つことに豊かさを見出している。といっても生産活動に従事してないのではない。広島市に週4日(水、木、金、土曜日の12時〜18時)だけ開業しているパン屋がある。
 実家のパン屋を継いだのは10数年前。1日15時間働き人気店にもなったが利益はほとんど出なかった。売れ残ったパンを毎日捨てているのを見ていたモンゴルから来ていたバイトの女の子に「おかしい」と言われたことなどをきっかけに考えるようになり、2012年店を休業してヨーロッパに修行に行き、帰国後、商品点数を絞り、材料にこだわったパンを焼き始めた。「捨てないパン屋」の始まりだった。
 年商2500万円。休業前と変わらない。だが働き方、売り方は随分変わった。作りすぎなければ売れ残りがなくなり、廃棄処分がなくなる。なくしたのは廃棄するパンだけではない。働き過ぎる時間もなくし、自分の時間を取り戻した。「時間泥棒」から時間を取り戻したのだ。

 大量生産でなく必要な分だけ生産する必要生産。地球の裏側からコストを使って持ってくる必要が本当にあるのか。「儲かる農業」という掛け声に踊らされ、地球の裏側まで農産物を運んで売る必要が本当にあるのだろうか。そこまでしないと本当に農業は、畜産業は儲からないのか。
 たくさん売ろうとするから食品がごまかされる。工業製品も量を追おうとするから質を犠牲にする。
 ここらで立ち止まり、量を追わない生産について考える必要があると思うが−−。

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