日南で「観光宮崎」を創った2人の男に思いを馳せる。(3)


堀切峠で岩切章太郎氏に思いを馳せる

 北郷リゾートホテルでそんなことを思い出しながら、翌日は日南海岸を北上した。海岸線には洗濯岩が見え、フェニックス並木が続く。
 山側に白い建物が見え、宮崎交通のバス停がある。バス停の名前は「道の駅フェニックス」。こんな所に道の駅が出来ていたのか、と思いながら取り敢えず車を止めて休憩。というのも休憩は堀切峠のフェニックスドライブインでと考えていたからだ。



 白い建物はレストランのように見え、よく見かける道の駅とは違ったが、他に建物はなかったからそれが道の駅らしい。
 昔の記憶ではこの辺りが堀切峠で、宮崎交通のドライブインがあったはずだったが、宮崎交通のドライブインはもう少し先だったかと思いながら、道路を渡り海岸を見下ろすビューポイントに近付くと「堀切峠」という文字が目に付いた。
 ここが堀切峠なら、山際の白い建物は「フェニックスドライブイン」に違いなかった。ドライブインは閉鎖し、道の駅に変わったのか。そういえばサボテン公園も閉園(2005年)されたと聞いていた。
 そう思うと懐かしさと悲しさが込み上げ、不覚にも目を瞬いてしまった。

 多くの人にとってはなんともない建物だろうし、この白い建物を見て岩切章太郎氏の観光宮崎にかけた思いを感じ取った人が、今はもちろん当時ですらどれくらいいただろうか。
 この「ドライブイン」は常識外れだった。商売のことを考えれば見晴らしのよい海側に建てるのが常道。それを敢えて山側に建設したのだ。
「景色のいい場所は宮崎に観光でお見えになる人達のもの。その場所を我々が独占してはいけない」
 そう言って氏は最もいい場所を観光客に譲り、自社グループのドライブインは山側に建てたのだ。

 南国を演出するフェニックス並木も岩切章太郎氏が自費で植えていった。最初は苗木を抜いて持ち去られたり、「そんなものを植えてどうなるんだ」と笑われたりしたそうだが、章太郎氏は持ち去られても持ち去られても植えていった。一部は氏の手植えもあったようだ。
 そんな話を昔、宮崎日日新聞の連載で読んだことがある。今、私達が目にしている日南海岸の景色はこうした岩切章太郎氏の努力があってのことだ。

 観光宮崎を作り上げた岩切章太郎と佐藤棟良の両氏はともに鬼籍に入られたが観光宮崎を語る時、両氏の地元愛と功績は忘れてはならないだろう。

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