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「コロナ」一色世界は「合成の誤謬」を生まないか(2)


 平時には冷静に考え、正常な判断ができても、危機に直面すると人はあっという間に考えが変わる。危機が身近に迫ってくれば来るほど恐怖感が頭を占め、冷静な判断を失い、流言飛語に惑わされ、声の大きな方に動かされて行く。

 こうしてミクロの視点では正しいことも、それが合成された集計量(マクロ)のレベルでは好ましくない結果をもたらす「合成の誤謬」が起きる。
 その際、大きく加担するのがメディアである。かつてこの国が戦争へと突き進んで行った時に国民を鼓舞し、戦争へと駆り立てた一翼を担ったのがメディアだったことはいまとなってはよく知られている。
 そして今、TVをつければ朝から夜まで新型コロナウイルスの感染者数と死者数がいくら増えたかというニュースばかりを流している。だから危険、緊急事態宣言は正しいのだと言わんばかりに。

 そう、ミクロの視点では正しい。しかし、疑問も感じる。感染者には軽症者も重症者もいるから、感染者数=重症者数ではないし、感染者と死者数の割合はどうなのか、どう変化しているのか。死者は激増しているのか横ばい傾向なのか、感染者数に比べると死者数は下がっているのかなどについてはまったくか、ほとんど触れない。
 さらに言うと、絶対数や絶対数の上昇グラフは報道するが、人口10万人当たりの数字を報道しないのはなぜなのか。
 10人の内1人感染すれば感染率は10%だが、100人中1人の感染なら1%だし、10人なら10%。つまり10人中1人も、100人中10人の感染も感染率は同じだが絶対数では10倍も違う。
 絶対数で比較するのか、絶対数の多さを流すのか、それともパーセンテージで比較するのかでは、情報の与える意味が違ってくる。数字は取り方によって大きく印象が変わるし、比較する場合は条件を同じにしなければならない。

 最近の報道で目立つのはアメリカの感染者数がイタリアを抜いてトップになったというものだ。冷静に考えればイタリアとアメリカの人口は違うから、単純に感染者の絶対数だけで比較することはできないと気付くはず。感染者率で比較しないと状況判断を誤ることになる。
 今回の「コロナ騒動」も初期の段階では10万人あたりの感染者数という形で報道されていたし、科学者はそういう表現を用いていたが、いまそうした声はほとんど聞こえない。

 意図的に「合成の誤謬」を行っているわけではないと思いたいが繰り返しメディアで流されると、なぜ人々の頭に絶対数を刷り込ませようとしているのか、それとも危機感を煽りたいだけなのかと、ついつい疑ってしまう。

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