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人はなぜ幻影に怯え、判断を誤るのか。(2)
〜実体を見せれば影の威力は消滅


実体を見せれば影の威力は消滅

 それにしても人は何故こうも影に踊らされるのだろう。田原総一朗でさえ小池百合子の影を大きく見、実像を見誤っていた。
「小池さんは勝負師だから、まだ何が起こるか分からないよ。きっと仕掛けてくる」
 TV 番組で、多少の期待も込めてのことだろうが、そう話しているのを見たのが、実は本稿を書こうと考えたきっかけになった。「えっ、勝負師? それは違うだろう」というのが、その時の感想だったからだ。

 政治家ほど虚像を売る人間はいない。実像をいかに大きく見せるかで、その世界での価値が決まる。かと言って虚像が実像とあまりにもかけ離れ過ぎていると逆効果だが。
 では、どうすれば人は虚像(影)を信ずるのか。3回成功すれば(3回虚像を見せられれば)、それを本来持っている力だと思い込む。つまり人は3回目に騙される。
 小池百合子は2度成功した。最初は都知事選で、2度目は都議選で。ここまでは影を実像の何倍かに見せることに成功したが、これがピークだった。都民を始め国民の多くは、その直後から彼女の実像に気付き始めた。ちょっとおかしいぞ、と思い始めたのだ。選挙前に見ていた小池像は期待を込めた虚像だったのでないかと。
 しかし、政治家の方は違った。まだ虚像を実像だと信じ、影に怯えていた。

 傍目(岡目)八目という言葉がある。碁を打っている本人達より、横で対局を眺めている人間の方が八目(八手)も先が読めるということを表した言葉だが、まさにその通りになった。対局している本人達は先が読めず右往左往していたが、有権者は都知事就任以後の小池は築地市場移転の問題も東京オリンピック施設の問題も何一つ前に進んでいないことを知っていた。
 小池劇場のピークは都議選で終わっていたのだ。その段階で3回目の成功はなかった。にもかかわらず、政治家達だけが影に怯え、影を頼りにして右往左往、取らぬ狸の皮算用に追われていたわけだから何とも情けない。

 それでも今回の衆院選が年明けまで延びていたら実体を影に近付けることができたかも分からない。そうなれば違った結果になったかも分からないが、きっとそうはならなかっただろう。
 人が影に怯えるのは実体が隠れて見えないからである。自民党、民主党時代の小沢一郎はこれをうまく利用した。隠れて姿を見せず、裏で指示するから人は恐れ慄く。だが、姿を見せてしまえば、このマジックは通用しなくなる。
 小池百合子が3回目に失敗したのは表で陣頭指揮を取ろうとしたからで、その時点で影の効用はなくなった。

 1回目は同情と非正規戦。それが既存政治の変革への期待となり成功した。2回目は農民一揆。戦略も戦術もなかったが、前回の熱気がまだ十分に残っていたため、寄せ集めの非正規兵が手作り武器を掲げワーと騒いで勝った。面白がって囃し立てた周囲の歓声に敵は浮き足だち総崩れの様相を呈したのだ。
 3回目は2回目と逆の構造になり崩れた。実態が表に出たことで影が剥がれ実像が見えてしまった。幽霊の正体見たり枯れ尾花というやつだ。
 初回は桶狭間的な奇襲、短期決戦で勝ちを納めたが、2回目は結論引き延ばしの焦らし戦術。だが、マジックに同じ手は使えない。またかと観客に飽きられたら終わりだ。にもかかわらず同じ焦らし戦術を使った挙げ句の実体見せだ。なんだ、枯れ尾花だったのかと正体を見破られてしまえば化けの皮が剥がれた狐と同じ。「勝負師」などと持ち上げた人物も影に踊らされた一人と言える。
                                                2017.10.28


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