コミュニケーション力も医療の重要な要素


 病院に行くの、案外好き、と言えば記憶力のいい読者から、おかしいではないか、と指摘されるかもしれない。そう、つい最近、病院で5時間も待たされたと不満を漏らしたばかりだから。

2時間程度の待ち時間は読書に最適

 いや〜、あの時は正直参った。
普通なら、もう二度と病院なんかに行くものか、と思うのが当たり前かもしれない。
ところが、性懲りもなく同じ病院(診療科は違ったが)に数日前、行ってきた。今回は窓口で受付をしてから会計を済ませるまでに4時間かかった。

 にもかかわらず、病院に行くのは案外、好きと言うのだから、お前はマゾの気があるのかと笑われそうだが、そちらの気はない。好きの前に、案外と付けたのは病院そのものとか診察、あるいは医師や看護師が好きということではなく、待ち時間が好きなのだ。

 なんだ、やはりマゾっ気があるのではないかと早とちりしないで欲しい。待ち時間を利用して本を読めるから好きなのだ。

 同じ理由で列車に乗るのも好きだ。新幹線なら博多から岡山か姫路あたりまで。大体3時間弱ぐらいの時間がちょうどいい。それを過ぎると少し飽きるし、病院の待ち時間なら少々イライラしてくるから、結構我が儘な性格かもしれない。

 今回、病院に行ったのは年1回の精密検査のためである。個人的にはこの1か月を検査月間と決め、帰福して病院で検査をしている。
「車は2年に1回、車検があり、その時に色々点検するでしょう。人間も同じだと思っているんです。私は2年に1回、人間ドックに入り検査してもらっています。えっ、費用。それはかかりますよ。だけど、それで健康でいられるなら安いもんですよ。私はそう考えています」
 友人のこの言葉も頭にあった。人間ドックを受ける余裕はないが、不調を感じた箇所はできるだけ精密検査を受けるようにしている。

 今回の受診目的の一つは膵臓のMRI検査。これは年に1回定期検査を医師から勧められていたが、昨年は行かなかった。それが気になっていたこともあり、MRIの予約受診のついでに気になっていることを相談し、検査してもらおうと考えた。
 実はこの数年、緩やかに体重が減少し続け、いまや若い頃に履いていたGパンでさえガバガバ。1日3食きちんと摂っているのにだ。とにかく原因が分からないことには対策の取りようもない。
「そうですね。胃は前回の検査から5年たっていますから検査した方がいいでしょう。今日、検査しますか。食事はしてませんね」
 医師のこの一言で急遽、内視鏡検査をすることになった。朝食抜きで行っていたのがよかった。

鎮静剤なしで胃カメラ検査

 内視鏡検査はいつものように鎮静剤なし。
鎮静剤を使うと直後、車の運転ができないということもあるが、なにより自分の目でリアルタイムに確認したいからだ。後でビデオを観せてくれる所もあるが、多くの病院は数枚の写真画像だけだ。

 それでは診察中に何が起きているのかが分からない。そのことの方が不安だ。局所麻酔による手術でさえ鎮静剤なしで行いたいぐらいだ。

 というのも、もう30年ほど前になるが、ある診療所で胃の内視鏡検査を受けた時、十二指腸までカメラが入らず医師が四苦八苦し、随分時間がかかったことがあった。この時は苦しくて、もういいから止めてくれと、何度か手を挙げかけた。
 後でビデオを観ながら説明もしてくれたが、胃壁に赤い斑点ができていたのを見つけ尋ねると、どうやら内視鏡で少し傷つけたようだった。
 「上手だから」と言う知人の紹介で受診したのだが、上手どころか、その反対だった。こうしたこともあるから、いつも鎮静剤なしでお願いしている。

 鎮静剤なしだと双方、多少緊張する。医師の方は被検者が苦しんだり、えずきそう(吐きそう)になったりしないかと思うし、被検者は喉の所をスッと通過するだろうかとか、十二指腸にカメラが入る時の、胃の内部をぐぐっと押される不快感を味わわなければならず、どうしても身体に力が入る。
 そうした緊張感を和らげるために大抵の医師は話しかけ、状況を説明してくれる。時には看護師も。

言葉を発しない医師

 目の前には小柄な若い看護師が立っていた。管を通りやすくしているのだろう、しきりになにかを塗り付けていたかと思うと、「最初は少し顎を上げて下さい」と言ったかと思うと、いきなり管を突っ込んできた。
 おいおい、看護師が検査するのかと少し驚いたが、その後は声を発することもなくカメラを操作し、管の中に液体を入れたり、管を捻ったりする。ところが管に液体を入れる時、押さえ方が緩いのか霧状のものがこちらの顔にかかる。
 こんなことは初めてだ。いくらなんでもそれはないだろうと多少憤慨したが、言葉を発することもできず、せいぜい目に入らないように目を瞑るぐらいしかできない。しかし、それでは肝心のモニターが見られない。

 これでは眠っているのと同じではないか。普通、なにか言うだろう。「後少しで終わりますからね」とか「胃の中の様子が見やすいようにブルーの液体をかけます」「終わりましたよ。これから管を抜きますからね。お疲れ様でした」ぐらいは言うはず。ましてや女性なのだから、その程度の心遣いもできずにどうする、などと頭の中でブツブツ言ったが、その間も目の前の相手は無言のまま。いきなり管を抜いて終わった。

 最初、看護師と思った女性はどうやら医師だったようだ。ベッドに腰掛け、靴を履きながら、机の前で後ろ向きになっている女性を指さし、看護師に「先生?」と言うと「はい、先生です」。
 するといままで言葉を発しなかった女性医師が、その言葉に反応しぐっと振り返った。
「女性の医師にしてもらったのは初めてだけど、男性より大胆! 言葉も発せずいきなり奥まで突っ込むんだから。もしかするとサドの気があるのかもね」
 こう言うと彼女を始め一同爆笑。笑い方が最も豪快だったのは女性医師だった。どうやらこちらが込めた皮肉には気付かなかったようだ。もう少し相手の身になった方がいい、という皮肉には。
 後日、あることに気付いた。検査の際、鎮静剤を使う人が多いのではないか、と。眠っているような人を相手にしていれば声などかける必要はない。それが習慣になっていたのかもしれない、と。

 技術の進歩はコミュニケーション能力を人から奪っていく。それがなにを意味するのか−−。

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