急激なデジタル化で、紙と印鑑を廃止した銀行窓口


栗野的視点(No.714)                  2020年11月23日
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急激なデジタル化で、紙と印鑑を廃止した銀行窓口
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木を見て森を見せずの政策

 日本という国は兎に角極端に振れる。プラスチックごみが海洋汚染の原因と指摘されれば、レジ袋の全廃に動く。まあ、正確に言うと廃止したわけではなく、無料配布の全廃を「指示」したわけだが、「お上」から言われれば「ははー」と平伏して従うのが、この国の民だから、スーパーをはじめとして町の商店、コンビニから高速道路のサービスエリア(SA)、果てはたこ焼き屋までレジ袋を「全廃」してしまった。
 土産物店やSAでは自家用の買い物もあるにはあるが、大半は土産用だろう。土産物を裸で渡すわけにはいかないから、袋を要求すると1枚3円とか5円を要求される。そこに持ってきてCOVID-19対策とやらで店の従業員は無口な上にマスクをして喋るものだから言っていることが聞き取れない。
 何度か聞き直し、指さされた方を見てレジ袋が目に入り、そこで初めて相手の言っていることを理解する。袋が要るか要らないかと尋ねているわけだが、まるで言葉が通じない外国で買い物をしているような気になる。

 レジ袋の全廃もいいだろうが、もっと大きなところでプラスチックごみを排出しているにもかかわらず、そちらは規制せず分かりやすいところにターゲットを据えるというのは菅政権の特徴で、ハンコの廃止やオンライン授業にデジタル化など、いずれも分かりやすいところばかりにターゲットを設定し、極端に進めようとしている。

デジタル人間からアナログへ

 個人的には早くからデジタル化してきた。まだ手書き全盛の頃から原稿はワープロ打ちしていたし、その後パソコンに替え、パソコンからFAXモデムを使って直接先方のFAXに原稿を送ったり、新聞社のデータベースも早くから接続し利用していた。
 まあ言うならデジタル人間だったわけだし、デジタル化には熱心だった。ただ、それもある時期までで、それを過ぎると急に熱が冷めたというか、それ以上のデジタル化には興味を失った。
 自分でも不思議なのだが、人がまだ興味を持ってなかったり、関心を示していない段階ではのめり込むが、それがポピュラーになり誰でもが使い出すと途端に興味を失ってしまう。
 パソコンでもDOS-Vの頃が最も熱心で、のめり込んでいたが、Windowsになり皆が使い出すと興味が半減したし、取材でも知る人ぞ知るみたいな、無名だがキラリと光る技術を持っているような中小企業を探し出して取材するのが好きで、そういう企画を組んで取り組んでいた。非効率この上ないし、原稿料を考えると足が出るような取材ばかりだった。その分、亡き妻には面倒をかけた。

オールデジタルのデメリット

 まあ、それはさて置き、デジタル人間だった私が最近はアナログに変わりつつある。というか、このところのデジタル化の風潮には納得できないことが多い。
 カード会社をはじめとしていろんなところが請求書をウェブに変更しろと言ってくる。でなければ、今後は手数料を取る、と。
 これって経費の節約とサービスの低下ではないか。そこにデジタル化の号令があったものだから、紙廃止の大義名分ができ、これ幸いとばかりには紙の廃止を加速しだした。

 私は請求書、利用明細書の類は全て綴じ、ファイルで保存している。紙の明細書の類がいいのは、バックナンバーの確認や比較がしやすいことだ。ウェブでも同じ、あるいはウェブの方が検索しやすいだろうと言われるかもしれないが、ウェブで明細書を確認するためには端末からアクセスし、パスワードを入れて自分のページにアクセスしなければならない。その点、紙の明細書ならファイルをパラパラとめくれば何年何月の利用料はいくらだったかすぐ分かる。
 ウェブが嫌なのは保存期間が不明なこともある。1、2年ぐらいは保存するだろうが、それ以上になるとダウンロードして保存してくれとなる。結局、自分で保存しなければならないのなら、紙で貰ってファイルに綴じておくのと何ら変わりがない。

 クラウドの利用にしてもそうだ。最初のうちは各社が無料でクラウドサービスを競って提供していたが、そのうち突然、無料サービスから撤退したり、利用できるデバイス数を限定してきたり、利用容量の縮小を言い出す。だったら最初から無料とか、無制限あるいは10Gとか謳うなと言いたい。
 美味しい話には裏がある、相手が勧める話には乗るなとは言い古された言葉だが、今でも真実のようだ。

紙と印鑑を廃止した銀行窓口

 デジタル化が便利なのは提供側にとってであり、顧客側ではない。それを証明するような出来事が最近あった。福岡銀行に行った時のことだ。預金引き出し用の用紙が置いてないので窓口で用紙を要求すると用紙の代わりにタブレットを示され、これで入力してくれと言う。
 通帳番号、氏名、引き出し金額と入力していくと、暗証番号入力画面が出てきた。昔から銀行のキャッシュカードは持たない主義だから、当然、暗証番号なんて設定していない。いや、一度設定したかもしれないが覚えていない。
「暗証番号? 印鑑はダメなのか」と言うと、「分かりました。印鑑ですね。では、もう一度この画面で入力してください」と促された。で、最終的には画面をコピーし、ここに印鑑を押してくれ、と言う。

 一体何なんだ。最初から紙に書いて渡していれば、とっくに終わった作業を窓口で3倍の時間がかかった。その間に私は「面倒くさいな」と3度も口にしてしまった。
 一体だれのためのデジタル化なのか首を傾げる。おそらく多くの顧客が窓口で戸惑い、時間がかかるだろうし、行員もその度に作業(仕事?)の手を休め、客に説明し、手助けしなければならない。これでは省力化どころか、窓口業務の行員にとっても客にとっても互いに時間と労力を取られるだけのロスでしかない。

 それ以上に危険なのはカウンターに据え付けられたタブレットで情報を入力することだ。特に暗証番号の入力は危険極まりない。10インチサイズ程度のタブレットが窓口カウンターに立て掛けられ、その画面に入力するのだから、その気になれば後ろから簡単に覗き見できる。いや、その気がなくても、後ろを通り横を見れば簡単に見えてしまうだろう。その辺りの防衛策も取らずデジタルはないだろう。

 こうしたやり方が自分勝手だと考える理由はほかにもある。「コロナ禍」で不特定多数の人間が操作するタブレットの液晶画面はその都度消毒しているわけではない。入店時に手指の消毒、マスク着用を促しながら、最も危険なタブレット画面の指操作、あるいは入力する場合に握るタブレットペンの汚染。
 少なくともこうした2つのセキュリティー対策もせずに顧客にのみ押し付ける不都合な事実が多すぎる。来年になると新規通帳発行に対して手数料まで取ろうとしている銀行。そして、それを後押ししている政権。我々は強欲金融資本主義にノーを突き付けると同時に、資本主義の在り方、未来について真剣に考える必要があるだろう。



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