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65歳で挑戦する経営者、秘められた目的は(2)」


2.後継者の育成

 社長の後継者は現在、副社長であるご子息。年齢は30代前半。
社長の目から見れば「まだまだ」ということなのだろうが、私など外部の者の目から見ればこの数年成長著しい。特に結婚されてから、自覚も備わったのだろう、随分しっかりしてきたように思える。
 役職が人を作るという言葉もあるように、バトンタッチは早い方がいいというのが私の持論である。
 そういうことからいえば、今回の4か月近い「徒歩旅行」は4か月近くも会社を留守にするということであり、留守を預かる方はかなりの緊張と経験を強いられることになる。まさに後継者育成のチャンスである。
「私が会社にいるとどうしても私を頼ります。ところが4か月近く留守をするわけですから、息子は自分で決めなければなりません。もちろん、国内にいるわけですから、いざという時にはいつでも帰ってこれます。その時は新幹線でも飛行機でもで帰ればいいんですから」

 こう聞いていくと、社長の本心が大体見えてきた。
そう、「徒歩旅行」は札幌まで行くことが絶対的な目的ではないのだ。それよりは4か月近くも会社を留守にすることの方ではないかと思える。
 中小企業の経営者にとって最大の問題は後継者の育成である。
信長は後継者の育成など考えてもいなかったし、秀吉は後継者の育成とバトンタッチに失敗したが故に、織田、豊臣政権は短命に終わった。
 ところが家康は早くに征夷大将軍(今風にいえば代表取締役社長)を息子の秀忠に譲り、自らは江戸を離れて駿府に移り、駿府から江戸政権を遠隔操作した。
 家康は代表取締役会長に就任し、会長、社長の2人が代表権を持つようにしたのである。もちろん同じ代表権といっても実権は会長の方にあったが。
 これは仕方ないことで、政権を作ったのは古くからの家臣(社員)だから、彼らが会長の方しか見てないのはある意味、当然である。

 ただ、家康が偉かったのは古くからの部下を従え、江戸城という城(本社)を離れたことだ。秀忠と同じ場所にいては家臣(社員)は家康しか見ないし、家康の一挙手一投足を見て行動する。これでは秀忠は単なる飾り物にしか過ぎなくなり、トップとしての自覚も、政権運営能力も鍛えられない。ところが、江戸と駿府という場所が離れたところにおることで、秀忠が徐々に鍛えられていったのである。

 さて、現代でも後継者の育成、バトンタッチに失敗する経営者は多いが、彼らにはある共通点がある。
それは会長になった後も社長室を譲らないことだ。
それどころか毎日、社長時代と同じように本社に出社し、一番でかい部屋に陣取って皆を呼び付け、報告を聞く。これでは誰も若い社長の言うことなど聞きはしない。それにもかかわらず、「まだまだ自分がいなければ会社は回らない」と嘯(うそぶ)いているのだ。こういうのをマッチポンプという。

 かと思えば逆の例もある。
ある蔵元の社長は息子が6代目社長に就任したとたん、会社のことには一切口出しをしなくなった。口出しをしないどころか毎日、趣味の車を運転してどこかに出かけている。
 後継者にしてみれば、もう少し会社のことを考えてもいいのではないか、時には相談にも乗って欲しいと思っていたようだが、完全に任せて、口を出さないから、逆に後継者がしっかりしてきたのだ。

 話を元に戻そう。
前出の社長は札幌まで徒歩で行くということで後継者との間に物理的な距離感を作り出し、社長への依存感をなくそうとしている。これが2、3日では効果もないが、数か月となると十分鍛錬させられる。こうしたことを少しずつ繰り返していけばバトンタッチもスムーズにいくだろう。
 最後に社長の次の言葉を紹介して終えたい。
「4か月近い休暇を取れることは、なにより優秀なスタッフがいるからで、彼らをはじめとした社員に感謝しています」



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