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日本は飽食社会なのか貧困化なのか(1)


 「飽食なのか貧困なのか」と問えば何と答えるだろうか。質問が抽象的すぎると言うだろうか。それでは冒頭に「世界は」と付ければどうか。貧困が多数を占める、と答えるか、それとも先進国は飽食、と答えるだろうか。
 では、日本はどうか。飽食社会なのか、それとも貧困なのか。貧困と答える人は恐らくいないだろう。かと言って飽食社会とも言い難い、というところか。

食品援助量の2倍を廃棄している国

 では、以下の事象について少し考えて欲しい。
まず直近の出来事から。2月3日は節分の日だが、節分の日と聞いて何を思い出すだろうか。「豆まき」というのが一般的だろうが、最近では「恵方巻」と答える人も多いかもしれない。
 節分に太巻きずしを食べる風習は大阪以外にはなかったはずで、私の故郷は兵庫県との県境で岡山経済圏というよりはむしろ関西経済圏の方に近いが、子供の頃にそんな風習はなかったし、いわんや大阪からはるかに離れた九州ではもちろんなかった。それがいつの間にかというか、最近どこでも「恵方巻」を見かけるようになった。

 仕掛けたのは小売業、特にセブンイレブンが1998年に「恵方巻」という名称で全国販売し、あっという間に全国に広まった。いまではコンビニでもスーパーでもどこでも恵方巻を売っている。まるで正月に雑煮を食べるように、節分に恵方巻が食べるのが日本の古くからの風習のように思わされている。コンビニ商法、小売り商法に乗せられているだけなのに。

 ところが、この恵方巻が翌日大量に廃棄されているのをご存じだろうか。クリスマスケーキがクリスマスを過ぎると見向きもされないのと同じで、恵方巻もスポット商品だからだ。それなら最初から販売数量を見越して仕入れればいいではないかと思うはず。昔の商売人はそのようにしていた。しかし、いまは違う。コンビニ・マーケティング(?)とやらで、商品棚に商品が少なくなると売れないと言われ、常に商品を棚に並べておかなければならないのだ。
 たしかに消費者は棚に商品が少なくなると、その商品を買わなくなる傾向がある。だからといって売れ残ることを見越して「仕入れなければならない」のはおかしい。ここで「仕入れる」ではなく「仕入れなければならない」と書いたのは、本部からの「強制」で仕入れさせられるからだ。もちろん本部は「強制していない」と言うだろう。だが、実質的に拒否できなければ、それは「強制」にほかならない。
 その結果、大量の食品ロスが出る。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)からちょっと拾ってみるだけで「26万円分の廃棄」「13万円以上の廃棄」「84個廃棄」「49本廃棄」等がある。コンビニに比べればスーパー等は圧倒的に少ないだろうが、それでも数を合わせれば結構な数字になるだろう。

 恵方巻だけでこれだけの数だから、食べられる食品全体の廃棄数量となると膨大な量になるのは容易に想像がつくだろう。では、賞味期限切れなどで廃棄される食品ロスはどれくらいの量に上るかというと、平成24年度では642万トンもの食品がまだ食べられるのに廃棄処分されていた。これは世界全体の食品援助量の約2倍である。

 賞味期限(消費期限ではない)が近いという理由だけで、なぜこれほど大量に廃棄されるのか。その背景には消費者のわがまま、小売り業者の売らんかなという姿勢、製造、流通業者の姿勢等々様々な問題がある。
 その一方で、これを「ビジネスチャンス(?)」と考える不逞の輩も出てくる。つい最近、世間を賑わした、産業廃棄物業者の廃棄食品横流しと、その商品を転売した業者の存在である。
 今回はたまたま発見できたからよかったが、同様のことはもっと以前から、恐らく今回発覚した業者以外でも行われていた可能性は否定できないだろう。
 それにしても世界には貧困で死亡する人達が多数存在しているというのに、日本はこれだけの食品を廃棄しているのだから「モッタイナイ」というか異常だ。
                                               (2)に続く


辛い花粉症の季節に


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