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パラダイムシフトが起きつつある(シリーズT)
消えた消費者を求めて模索する小売業(3)
〜コンビニも移動販売でミニマーケットに対応〜


大量集客・大量販売から
少消費者への対応サービスに


 最近相次ぐスーパーのネット販売がマスマーケットへの対応だとすれば、過疎地やスーパー撤退後の団地など商業空白地に出店したり、移動販売を行う動きはミニマーケットへの対応といえる。その中間に位置するのが個別宅配サービスだろう。

 私自身は「飽和時代の商品欠乏化」(栗野的視点NO.363)でも述べたように、人が買い物をする場合、単に商品を入手するということだけではなく、買い物行動を通しての情報収集やコミュニケーションという側面こそが重要だと考えている。この点を軽視してきたのが近年の商業主義であり、その結果が、都心部や過疎地における商業空白地の出現である。
 前稿で私が「買い物難民」という言葉を批判し、「商品欠乏化」という言葉を使っているのは、現在、買い物に不自由している人達は自らの責任でそうなったわけではなく、身勝手な商業主義の犠牲になったわけで、「買い物難民」という言葉はそうした実体をはぐらかしているからである。「買い物弱者」という言葉も概念的には似かよっているが、「難民」よりはマシだろう。

 さて、商品を大量に供給することが善だと勘違いした商業主義者達によって浪費の海に投げ込まれた消費者は、今度は彼らの勝手な都合で生活エリアが商業空白地にされつつある。
 だが、ここにきて一部の人達は、自分たちが信じてきた「大きいことはいいこと」という考えに疑問を感じだしたようだ。
 彼らは、広範囲に大量の餌まきをして広域から人を集め、大量に商品を販売する代わりに、点在する人達の所に自ら出掛け、商品を届けだしたのだ。
 前者の大量集客・大量販売に比べ、後者のやり方は効率、コストともに落ちる。それでも、この分野に参入する小売り業者が少しずつではあるが増えている。

 移動販売というスタイルは新しいものではない。昔から存在していたし、いまでも過疎地に限らず住宅地でも移動販売車は回ってくる。だが、それらは魚屋だったりパン屋だったりという単品販売がほとんどだ。
 なぜ単品販売で、多品種販売ではないのか。それは軽トラックの荷台という限られたスペースに載せるためには単品のほうが効率がいいんだとか、商品を絞った方が消費者に訴えかけやすいなど様々な理由があるだろうが、要は仕入れコストの問題である。
 多品種小量仕入れより、単品大量仕入れの方が仕入れコストが下がるのは自明の理だ。
 しかし、それは小売り業者側の論理で消費者のそれではない。人はパンのみにて生きるにあらずと言われるように、生きるためだけの食品提供(必要要素)にはショッピングの楽しみがない。あれこれ選ぶ楽しみ(十分要素)がない。
 必要条件を満たすものを供給すれば売れるだろうというのは販売側の思い違いに他ならない。消費者が求めているのは選ぶ楽しみ、買う楽しみで、いわば十分条件だ。移動販売といえども十分条件の提供がなければ、やがて商品は売れなくなる。
 売り上げが下がればたとえ個人商店でも経営が厳しくなる。となれば利益至上主義経営では難しい。
 それ故、利益よりは理念を上に置いた経営、その一つの形態がNPOによる経営ではないかと、私は考えている。

コンビニも移動販売で
ミニマーケットに対応


 ところが最近、この分野にコンビニやスーパーが参入しつつある。
コンビニではセブン-イレブン・ジャパンとファミリーマートが今春以降相次いで移動販売を開始している。
 セブン-イレブン・ジャパンは2011年5月18日から茨城県城里町で、ファミリーマートは8月から東北地方の被災地で移動販売を開始。
 さらにセブン-イレブン・ジャパンは、7月21日以降、熊本県芦北でも移動販売を開始している。いずれも移動販売用に開発した軽トラックを使用し、「即食性の高いおにぎりやお弁当、パンや飲料等を中心に、日常生活において使用頻度の高い生活必需品に絞り込んだ商品約150アイテム」を載せて、エリア内を定期的に巡回販売。移動販売車のデザインは店頭と同じ、販売員も店頭と同じ制服を着用する。
 一方、ファミリーマートは今年度中に全国で約100台の移動販売車を展開する予定だ。
 このほかにも地域の商店街が共同して商品の配達サービスをしたり、大型スーパーへの巡回バスを運行したり、地域住民が中心になってスーパー撤退後の閉鎖店舗に新スーパーを開設するなど様々な取り組みが行われだしている。

 ショッピングモールの大型化は今後も続くだろう。その裏で競争に敗れ、撤退していく大型店も増えていく。するとますます商業空白地が増えていく。この動きは恐らく止まらないだろう。
 しかし、すでに見たように消費の世界でもパラダイムシフトが起こりつつある。
高齢者に限らず若者も「消費はいいことだ」という考えから遠ざかりつつある。彼らが買うのは小単位、少量のものである。それは「身の丈に合った消費」と言い換えてもいいかもしれない。

 ともあれマスマーケットを対象にしたオペレーションがミニマーケットで通用するはずはない。ミニマーケットに対応したスリムなオペレーションが求められている。オペレーションはスリムでも巡回頻度がスリムでは消費者に支持されないだろう。チラシ注文・配達+移動販売などといった組み合わせでショッピング機会を増やすなどの工夫も必要になるだろう。

 いずれにしろ、かつてのように大量に消費した消費者は今後急速に消えていくだろう。消えた消費者を求めて模索しているのは小売業だけではない。消費しない消費者が出現しているのに大量にモノを作り続けられるわけはない。そのことが分かりつつ、それでも大量生産の呪縛から逃れられず、新興市場に活路を求め続けて未来はあるだろうか。そのことを再考する時期に来ているのではないか。



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