「新・文盲」が増えると独裁化が進む。(1)
〜国語教育の軽視が理数の低下を招く


 「文盲」が増えている−−。こう言えば驚かれるかもしれないが、近年、日本人の識字率が下がってきているのは間違いない。識字とは「読み書き」のことであり、日本人の読み書き能力が下がる傾向にあるのは以前から指摘されていたが、その傾向は年々増えている。

国語教育の軽視が理数の低下を

 原因はいくつか考えられるが、1つは国語教育の疎かさ。中でも作文。また昔は当たり前のようにあった、夏休み等の宿題で出されていた「読書感想文」の廃止等が少なからず影響していると思われる。
 前者は書くことで漢字を覚えるし、後者は読むことで漢字や言葉の意味を覚え、理解して行くが、この2つともが疎かにされると読み書き能力が育成されない。

 読み書きが多少できなくても問題ない、と思っているなら、それは大いに問題で、人との会話が通じない(コミュニケーションが取れない)。人間は言葉(書いたものであれ、話したものであれ)で会話する動物であり、言葉は一つひとつ意味や概念を持っている。ところが、その言葉の持つ意味や概念を間違えて話していると他者とのコミュニケーションは成り立たなくなる。
「私はこういう意味で話していたのに、君はそういう意味で理解していたのか。道理で先程から話がズレていると思っていた」なんてことになる。

 日常生活の中でならそれほど問題になる場面は少ないかもしれないが、これが政治や外交の場面では大問題になりかねないし、一国の首相ともあろう人間が漢字の読みを間違って覚えていたりすれば恥ぐらいで済まされない。通訳が困るだろうし、通訳が間違って訳して先方に伝えるなんてことも起こる。そうなると恥をかく程度では収まらず、外交問題に発展しないとも限らない。

 この国の一番の問題は国語教育を軽視し、軽視した分だけ外国語(米語)教育に比重を移しつつあることだ。それがなぜ問題なのか。それは人の思考と密接に関係しているからである。人は母国語(生まれ育った国や土地の言葉というだけでなく、言語能力が形成される時期に最も長く親しんでいた国や土地の言葉)でものを考えるから、まず基礎としての母国語がしっかりしていなければ、ものを考えることができない。
 例えば理科や算数、数学の成績が悪い子は国語の成績が悪かったりするということが指摘されている。計算式はしっかり解けるが、記述式の設問の意味が理解できないために問題が解けないのだ。
 それは社会科等他の教科についても言えることで、国語の理解が進めば他の教科の成績も上がることは充分考えられる。
                                              (2に続く)

PREMOA(プレモア)


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