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林原グループの経営破綻が教えるもの(3)


3.無秩序な事業拡大と不動産投資

 不思議なのは林原健前社長が粉飾決算について「過去の状況を審査していただいて、初めて知った」と、会社更生法申請直後の2日夜の記者会見で語ったことだ。
 では、一体いつ、前社長は粉飾決算の事実を知ったのか。25年間も粉飾が行われていたのに。
 それについて前社長は「弁護士と相談を始めた昨年12月まで知らなかった」と弁明している。
 なぜ「12月」なのかというと、林原が中国銀行等に追加融資の申し込みをしたのを受け、中国銀行と住友信託銀行が融資状況について情報交換した結果、実際の融資実績と互いが把握している報告内容の数字が食い違っていることに気づき、林原に説明を求めたのが11月。それから「内部精査」した結果、判明したのが12月で、その時に初めて前社長は粉飾の事実に気づいたということである。

 常識的に考えて言葉通りには信じられないが、氏の弟である林原靖前専務は「銀行に報告する借入残高が実際の残高と異なることを承知していた」ようだ。ただし、自身の関与は否定している。
 では、誰が数字操作を実際に行っていたのか。これはいわば政治家と秘書の関係のようなもので、あうんの呼吸のようなものかもしれない。いずれにしても経理の最高責任者は靖前専務であり、健前社長とは兄弟だという事実を記すだけで十分だろう。

 不思議なことは他にもある。同グループの一見無秩序とも思える事業拡大だ。岡山市内の不動産事業はまだ納得できるとしても、京都市の京都センチュリーホテルや東京新宿歌舞伎町に林原第5ビルの建設等には多少首をかしげざるを得ない。
 なかでも歌舞伎町のビルは、なぜ歌舞伎町という場所なのかと思った人が多いだろう。その場所に林原の名前を付けたビルを持つことが、「バイオの林原」のイメージアップになるとは思われないからである。率直に言えば、イメージダウンに貢献することの方が大きいだろう。
 同ビルの設計者はイギリスの有名な建築家リチャード・ロジャース氏。彼に設計を頼むのならもう少しましな場所があったのではないだろうか。少なくともビルの前にラブホテルがあるような狭い路地に面した場所ではなく。まさかトップの隠れ家的な利用を考えたわけではないと思うが。
 ところで、歌舞伎町のビルが完成したのはバブル崩壊直後の93年。同ビル建設は「歌舞伎町プロジェクト」と名付けられていたことを考えれば、一帯で他にも不動産開発をする計画があったのではないだろうか。
 バブルが弾けたのは90年。ただ、そのことが実感されだしたのは92年頃から。いずれにしても歌舞伎町のビルはバブル崩壊直後の計画・完成。「ババ」を引いたのは間違いない。

 企業に栄枯盛衰はつきものである。しかし、本業だけに注力していて倒産した企業は比較的少ない。多くは本業以外に手を出して失敗するのだ。
 多角化も、幹から枝が出るように本業と関連がある分野へ多角化するところと、木に竹を接ぐように本業と関連がない分野にも進出していくところでは、失敗しているのは圧倒的に後者の方だ。

 それにしても不動産投資が好きな経営者は多い。
同グループの不動産投資好きは前社長兄弟の父、一郎氏の代からで、同グループが所有している不動産はほとんど一郎氏の代の時に購入したもの。実を結ぶまでに10年、20年かかる研究開発を続けてこられたのも、その不動産が資金の手当てをしていたからで、そう考えると一郎氏亡き後も不動産投資に熱心だったのはある意味仕方ない。
 結果、その不動産投資が粉飾を膨らませ、今回の破綻の原因になったのはなんとも皮肉な話だ。
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