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認知症は生きる知恵かも(2)
〜両親を「さん」付けで呼び始める〜


 そんな母をずっと見てきて、認知症の症状にいくつかの段階(初期、中期という段階ではなく、症状の現れ方の違い)があることに気付いた。もちろん、それは母固有のもので、誰にでも当てはまることではないだろうが、もし同じように身内に認知症の人を抱えている人がいれば何かの参考になるかもしれないと思い、以下に記してみる。

1.少女期に戻る(回想話が多い。我が儘になる)
2.愚痴話が多くなる(回想話が多い。我が儘になる)
3.嫌なことを忘れる(回想話が減る。我が儘が減り、感謝の言葉を口にし出す)

両親を名前で呼びだした母

 初期症状の頃、母は少女に戻っていた。小学校や女学校に行っている時の話、要は結婚前の話を繰り返しするようになった。もしかすると、その頃が母の人生で最も輝いていた頃だったのかもしれないと思ったりするが、自慢話だけでなく僻みっぽい話も多かったから、果たして「輝ける青春時代」だったのかどうかは分からない。だが、いままで知らなかった母の人生、精神(こころ)の変遷を垣間見ることができたのは事実だ。
 例えば親の愛情に飢えていたのに、どうも子供の頃、母親は姉の方をかわいがり、自分はそれ程かわいがってもらえず「私は本当は両親の子供ではなく、橋の下に捨てられていた子だったのではないかと思っていた」ようだ。生家が商売をしていたため親は子供に構う時間がなかったし、当時の時代背景からすれば子供が家の家事手伝いをするのはごく普通のことだったと思うが、母の精神(こころ)の中には、同じ姉妹なのに姉の方ばかりかわいがられ、自分は母親に疎んじられたたという意識がずっと残っていたようだ。

 この頃、母は両親のことを名前で呼ぶようになっていた。「お父さん」「お母さん」あるいは「おじいちゃん」「おばあちゃん」ではなく「Rさん」「Kさん」とまるで他人のように両親を名前で呼ぶのだ。これには随分違和感を覚えた。私はいままで母の言動から母娘仲はいいと思っていたし、箱入り娘とまではいわないが「お嬢さん」として育てられてきたはず。だが、母には両親、特に母親に対する不満があり、それを精神の奥深くにしまい込み、他人には言わずにきたが、認知症になったことで理性という蓋が取れ、いままで仕舞い込んでいたものが表面に出てきたのだろう。
 しかし、それは悪いことではない。もし、そのまま精神(こころ)に蓋をし、仕舞い込んだままだったら、いつか精神のバランスを壊していたに違いない。認知症はそうならないための防止策ではないか。そう思い始めた。

姑その他への愚痴話が増える

 母の第2段階は姑その他への愚痴だった。姑にバカにされ、虐められた愚痴話。その一方で親戚や近所の誰それに対し、子供の頃から面倒見てきたのに見舞いにも来てくれないと愚痴をこぼすことが増えた。
 これは孤独感に老人性うつ病が加わったのだろうと考え、孤独感に陥らないように「見捨てはしない」というメッセージを発し、実際、言葉でも伝えて、極力会いにも行っていた。すでにこの頃には実家近くの施設(自立支援型小規模多機能住宅)に入居させ、週3日はデイサービスにも通うようにしていたが、それでもそのほかの時間は自室で一人で過ごさねばならず、その孤独感に苛まれていたようだ。
 しかし、すべてを満足させることは難しいし、すべてを望むのはやめてくれ。せめて何か一つは我慢してくれ。でないと共倒れになる。
 すでに、もう充分、俺の時間をあなたのために割いてきている、というのが私の言い分だが、それを言って理解できる頭ではなくなっているから、言いたくても言えない。それがこちらも辛い、というか、こちらのはけ口がない。24時間、自宅で面倒を見ている人の大変さがよく分かる。よく発狂せずにいられるものだと感心さえする。

                                               (3)に続く



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