日本の製造業はなぜ衰退したのか(11)
〜強迫観念に苛まれ、本質を疎かに


強迫観念に苛まれ、本質を疎かに

 最後にもう一度カメラに戻ろう。いまカメラ業界は、低価格帯のコンデジはスマホに市場を奪われ、中・高級カメラ市場で生き残りを図ろうとしている。しかし、既述したように海外生産による技術の流出で、その分野も近い内に脅かされるのは間違いない。肝心のレンズまでもが国内で製造できなくなれば、もはや日本メーカーはアセンブリ企業の地位に甘んじるしかなくなり、ブランドは輝きを失う。
 なぜ、そうなってしまうのか。
ひと言で言えば過剰生産だ。商品サイクルが短すぎる。市場経済が拡大期にある時は新製品発表のサイクルが短くてもまだなんとか売れた。しかし、市場が飽和し始め、経済が停滞・下降期に入ると、短サイクルでの商品投入はむしろ企業の利益率を圧迫してくる。

 現在、カメラ大手2社はエントリークラスのデジタル一眼カメラをほぼ1年周期で市場に投入している。しかも、その度に何らかのバージョンアップをする。アップ機能や付加機能が小幅にとどまれば、消費者へのアピール度が小さく買い換え需要は小さくなる。かといって大幅な機能アップは開発陣への負担が増すばかりか、自社の中で新旧製品の下克上(逆転現象)さえ起きる。
 影響はそれだけにとどまらない。新製品の寿命は1年で、2年目には「型落ち」になり、新製品発表前に販売価格はかなり下落してくる。現実には発売後3か月で大きく下落しているのが実状だから、メーカーが利幅を確実に確保できるのは発売後わずか3か月程度。少し長めに見ても半年くらいということになる。

 こういうサイクルが常態化すると、消費者も価格が下がり、ある程度落ち着いてから買おうとする。要は値頃感を待っているわけで、消費者が商品の市場価格を決めているとも言える。それなら当初から市場価格に近い設定で売り出せばいいようなものだが、それはしない。
 こうしたやり方はやがてユーザーに不信感を生むことになる。発売直後に買った人は高い価格で買わされたことになり、ユーザー間で不平等が生じるからだ。極端な話になると発売翌日に5,000円も値下げして売られたという例も報告されている。
販売価格は販売店の責任でメーカーに責任はないとはいえ、ユーザーの不満がメーカーに向くのはやむを得ないだろう。メーカーの新商品発売サイクルが短すぎるから、こうした問題が起きるのだから。

 なぜ、新商品発売のサイクルを伸ばせないのか。「新商品を出さないとすぐ他メーカーが出して売れなくなるから」という声がある。果たしてそうか。
 キャノンに中級機のEOS 7Dというカメラがある。発売は2009年10月だから、発売後3年が過ぎ、従来のサイクルから言えば既に次の機種が出ていてもおかしくないが、いまだ「7D2」(仮称)は出ない。店頭でこの機種を勧める販売員は多いし、ユーザーの評価も高く、いまだ売れている。
 結局、自らの製品を過去のものにしたり、型落ちにしているのはメーカー自身で、自分で自分の首を締めていると言える。
 余談だが、私は前のBMWに10年乗っていたが、日本車のようにデザインを大幅に変えないので、10数年前の車でも古くささを感じなかった。次の車もBMWにした。理由は車に対する安心感である。長距離を走った時の疲れ方が全く違ったり、走行時の安定性が違ったのだ。

 話を元に戻そう。なぜ、メーカーは早いサイクルで新製品を出すのか。端的に言えば強迫観念のなせる技だろう。競合他社より早く次の製品を出さなければ他社にシェアを奪われる、自社の製品が売れなくなる。ユーザーニーズに応えるためにはラインナップを隙間なく揃えなければならない。こういった強迫観念に苛まれ、次から次に新製品を出し続けているだけではないのか。
 売らんがために新製品を出すのではなく、モノづくりの原点に返り、一度立ち止まり、しっかりとしたものを作ることを心がけたらどうだろうか。少なくとも3か月で値崩れするような製品ではなく。
 消費者ニーズという亡霊に怯えるのではなく、ポリシーを持ったモノづくり、自社の立ち位置をしっかり定めたモノづくりこそ必要ではないだろうか。消費者はそれ程バカではないのだから。

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