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 ワイヤ加工機を自在に操り、ミクロン単位の
 精密加工をする吉備NC能力開発センター(1)


株式会社吉備NC能力開発センター
岡山県加賀郡吉備中央町竹部1973
tel 0866-56-8282
http://www.kibinc.co.jp

仕事に場所は関係ない。関係あるのは製品の質だけ。

 「こんな場所でもビジネスができるのはFAXと宅配便が発達したお陰です」
会社吉備NC能力開発センターの社長、片山雅博はそう言ってほほえんだ。片山雅博社長
 FAXで加工依頼の図面を受け、出来上がった製品を宅配便で送る。これが同センターの仕事スタイルである。変わったのは、最近、FAXの代わりにEメールで送られてくるようになったこと。「仕事に場所は関係ない。関係あるのは製品の質」と片山は胸を張る。

 同センターは岡山県のほぼ中央、吉備高原都市の中に位置している。オープンしたのは昭和58年(1983年)。身体障害者にコンピューターによるNCソフトウエアなど先端技術習得訓練を行うことを目的に設立された第3セクターであり、先端技術に関する障害者の能力開発センターとしては全国初である。

 「最初は『福祉』という言葉がよく分からなかった」
それまで某大手企業でプラント技術者として働いていた片山にとって「福祉」という言葉は知っていたが、自分とは無縁の世界だと思っていた。ましてやそうした仕事に自分が関わることになろうとは想像もしていなかったに違いない。
 そんな片山が同センターの設立に関わるきっかけになったのは、正月明けにかかってきた1本の電話だった。
「県が吉備高原に障害者の能力開発センターを作る計画がある。その起ち上げをする人間を探しているんだが、引き受けてもらえないか」
 電話口でそう言われたが、寝耳に水。正月に帰省していた時にもそんな話はなかった。第一、いま勤めている会社を辞める予定などなかった。そこにいきなりそんなことを言われても、というのが正直な気持ちだったに違いない。だが、電話はその後も何度かかかってきた。
 時を前後して、大阪で商社勤めをしていた難波啓介(現、専務取締役)の元にも同じような電話がかかっていた。
最初のうちは断り続けていた2人だが、「流れに身を任せてみるのも人生かも」と結局引き受けることに。時に片山雅博39歳、難波啓介33歳。以来、現在まで2人3脚で歩んでいる。

 「会社が出来たのは知っているが、来るのが遅いじゃないか」
営業で飛び込んだ会社の社長から、そう言って叱られたこともあった、と難波は設立当時を懐かしむ。
 いままでとは畑違いの仕事である。当初はどこに仕事があるのかさえ分からなかった。そこにもってきて「仕事の確保に協力はするが確保するのは君達だ」と調印式の時に言われ、第3セクターに対する甘えの気持ちは吹っ飛んだ。
 「最初、総務を県が派遣してくれると言うんで、『人の面倒も見てくれるんですか。第3セクターというのはいいですね』と言ったら、『給料は君達で払うんだ』と言われたので、それなら結構です、自分達でやりますと断った」と片山は笑う。
 こうしたことが結果的によかった。もし、最初から人も仕事も面倒を見てもらっていたら、同センターの現在はなかったかもしれない。

 会社は設立された。訓練生は待っている。ないのは仕事だけ、という感じのスタートだった。とにかく仕事を取ってこないと話にならない。ところが2人ともいままでとはまるっきり違う分野で仕事をしてきただけに、どこに行けば仕事があるのか分からなかった。
仕方なく職業別の電話帳を繰って、「それらしいところに片っ端から電話し、飛び込んでいった」。その内段々要領が分かってきた。「クレーンなどが動き回る背の高い建屋がある所ではなく、背の低い建屋の工場に我々がする精密加工の仕事があると分かってきたんです」と難波は言う。
 昼間は営業で工場回りをし、夜加工して、帰宅は11時、12時という生活が2年近く続いた。土日もなかった。
「なんといっても前と後ろに荷物を背負って塀の縁を歩いているようなものでしたから。だけど、しんどいという感じは一度もなかった」と片山は振り返る。
「そうだね。だけどプランを作る時、損益的に大変だなとは思いましたよ」と難波が言葉を継いだ。
 幸いだったのはまだワイヤー加工が珍しい時代だったこと。訓練用のワイヤー加工機を2台、型掘り放電加工機3台、生産用加工機5台でスタートした同センターが仕事に苦労することはなかった。 (文中敬称略)
                                                (2)へ続く



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