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長崎市長選は我々になにを教えたのか
〜〜いい加減に決別したい政治の私物化意識〜〜


  選挙は最大のエンターテインメントである、と誰かが言っていた。
たしかに主役、脇役入り交じり繰り広げられる選挙運動は下手なドラマよりよほど面白い。選挙戦の視聴率(特に選挙後の報道)が高いはずである。

 今回の統一地方選でも数々のドラマが繰り広げられ見応え十分(?)だった。なかでも注目を集めたのは夕張市長選と長崎市長選だろう。
 夕張市長選は企業でいうなら民事再生手続けを申請した企業の再生をどこが請け負うのかという構図に似ている。
手を挙げたのは異業種からの参入組ばかりだったが、最終的には唯一手を挙げた同業者が再生することになったようだ。
驚いたのは選挙好きのおじさん、羽柴秀吉氏が2位の得票数を獲得したことだ。それほど夕張市は困っていたということかもしれない。

 一方の長崎市長選は当初、無風選挙と見られていたが、選挙戦のさなかに前長崎市長の伊藤一長氏が凶弾に倒れるという悪夢のような出来事の後、一転混戦模様になった。
 伊藤陣営は急遽、伊藤一長氏の娘婿で西日本新聞記者の横尾誠氏を候補者に仕立て上げ選挙戦を戦ったが、結果は知られている通りの敗戦だった。

 過去の選挙パターンでいえば、弔い合戦はほとんど勝利である。
それは陣営側の結束が一気に高まるからであり、そこに日本人の判官びいきも味方し、競り合いの闘いはもちろん、4分6分で負けている場合でも逆転勝利している。
にもかかわらず、なぜ今回は過去のパターンと違って負けたのか。

 そこにはいくつかの理由が挙げられるが、最大の理由は市民が世襲を許さなかったということである。
政治は家業ではない。
政治家個々人の姿勢である。
それを世襲するというのはおかしな話だ。
こんな当たり前のことがそのまま反映されたというだけで、いわば至極当然。
世襲を許さなかった長崎市民の感覚はすこぶる正常だった。

 しかし、それは表向きの理由で、横尾誠氏が負けた理由はほかにもある。

1.顔が悪かった。

 変な言い方だが、最近「人は目ためが9割」などという本が売れるように、ビジュアル時代はTV等の映像映りのいい顔が受ける。
その点、横尾氏はかなりマイナスだった。

 まず、あの目立ちすぎるメガネである。
あのメガネ姿が必要以上に本人を個性化し、どこか悪人面にしていた。
ここでいう悪人面とは、反対意見を聞かないのではないか、広く市民の声を聞いて市政をするというのではなく、独善的な政治をしそうなイメージ、どこかよそよそしさを感じさせるというような意味である。

 周囲もあの角張ったメガネは印象が悪いと判断したのだろう、選挙運動中はメガネをおとなしいものに替えていた。

2.出馬宣言の時の態度が悪印象だった。

 決して本人が不遜だったわけではないだろうが、出馬宣言の時にニヤついている顔に「映された」。
 ここは「見えた」ではなく、あえてTVにそう映ったという意味で「映された」としておく。しかも、TVは同じ映像を繰り返し流すので、見ている視聴者にある種のイメージを植え付けてしまうところがある。これがTVの意地悪なところだ。
 結果として市民に悪い印象を与えてしまったのは本人にとって不幸だったかもしれない。

 つまり横尾氏の顔が悪いのではなく、TVに映った「顔が悪かった」のだ。
ところがビジュアル時代では見た目の印象がすべてだ。
本当は違うといくら主張しても、後の祭りである。
 かといって、映像は真実の姿を映していないのかといえば、そうでもない。一瞬の姿しか切り取らないが、そこには案外、本当の姿が映し出されているものだ。
結局、市民の受け取り方は的を射ていたということでもある。

3.柳の下のドジョウを狙った。

 本人にその気があったかどうかは別として、少なくとも周囲に柳の下のドジョウ意識があったのではないだろうか。
 西日本新聞の経済部部長から出馬して福岡市長に当選した吉田氏は同じ新聞社の先輩である。周囲が2匹目のドジョウを考えたとしてもおかしくはない。
 仮にそうであったとしても、まともな政治記者なら家族だからとか弔い合戦というような気持ちで立候補すべきでないのは分かるはずだ。
それを即座に立候補したのだから、本人にも多少あわよくばという気持ちがあったかもしれない。
 それにしても昔の人はよくいったものだ。柳の下にいつもドジョウはおらぬ。

4.長崎市民は伊藤前市長を愛してなかったのか。

 落選挨拶の際、横尾氏の妻であり、伊藤氏の長女が「率直に言わせてもらえば、長崎市民の方々、父伊藤一長は、その程度の存在だったんですか! 残念です。父が浮かばれない。愛する長崎にこんな仕打ちをされて…」と言った。
 この言葉を聞いた時、横尾氏が当選しなくてよかったと感じた長崎市民は存外多いのではないだろうか。
私は大いに違和感を覚えた。

 では、長女が言うように本当に伊藤前市長は長崎市民から「その程度の存在」と思われていたのだろうか。
それはむしろ逆である。
そのことは得票数に表れている。
 田上富久氏の得票数78,066票に対し、横尾誠氏は77,113票と、わずか953票差にまで迫っていたのだ。
この数字は上記1、2がなければひっくり返っていた数字かもしれない。
 それよりなにより無効票が15,435票あり、そのうち白票が5,119票あったという事実。さらに無効票のうち「候補者でない者または候補者となることができない者の氏名」が記載された票が8050票、その大半は「伊藤一長」と書かれていたという事実を知れば、上記のような言葉は出てこなかったに違いない。

 ところで興味深いのは田上、横尾両氏の得票地域である。
田上氏が横尾氏の得票を上回ったのは市中心部の旧長崎市のみで、長崎市と合併した旧7町の開票区では横尾氏の得票の方が上回っていたのである。
都市部より周辺部の人の方が情に流されやすい行動を取るといえなくもない。

 いずれにしろ、今回の選挙は政治は選挙民のものであり、家族のものではない。
政治姿勢や信条は個人に帰するもので、家族に帰するものではない以上、選ばれるのは家ではなく個人である。
この当たり前のことを再確認した今回の選挙は全国的にも意義深いものだった。
これをきっかけに政治家の世襲にノーという国民が増えることを期待したい。


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