Google

 


「ベンチャー企業が陥りやすい罠」講演要約

 3月28日、神戸市のホテルモントレ神戸で(社)全国産業廃棄物連合会青年部協議会近畿ブロック会の会員を前に「ベンチャー企業が陥りやすい罠」と題して講演した。
以下にその要約を紹介したい。

1.ベンチャー企業の定義
 ベンチャー、ベンチャーといわれながら意外に知られていないのがベンチャー企業の定義である。
 そもそもこの言葉が英語のAdventureから派生した和製英語だということすらあまり知られていない。
命名したのは80年代前半のアメリカを視察した清成忠男氏(当時法政大学教授、後に学長)達。

 当時のアメリカでIBMなどの大企業を脱サラ(スピンアウト)し、ガレージや廃屋のような所を改造して起業する新たな動きが起きていた。
 彼らに共通していたのは大学、あるいは大学院卒の高学歴者が多く、高い技術力を背景に大企業と対等にビジネスを行っていることだった。
しかも、これらの企業の多くは急成長していた。
 アメリカではこうしたビジネスを「スモールビジネス」「ニュービジネス」と呼んでいたが、清成教授達は大企業という安定性を捨て、あえてリスクを背負いながら起業する若者という意味で、彼らは冒険者(Adventure)であり、彼らが行うビジネスを Venture Business と名付けたのである。
 彼らの多くはコンピューターを駆使してビジネスを行っており、デルやゲートウェイはこの頃の代表的なベンチャーの一つである。

2.第2次ベンチャーブームは直後に全滅
 80年代半ばになると日本でも大企業をスピンアウトした技術者が起業する動きが続出しだす。これが日本での第2次ベンチャーブームである。
因みに第1次ベンチャーブームは昭和40年代。

 ところが、この第2次ベンチャーブームの頃に起業したベンチャーはその後程なくしてほぼ全滅。

 なぜ、第2次ベンチャーブームのベンチャーは全滅に近い形で倒産したのか。
この疑問が私のベンチャーとの関わりになった。

 第2次ベンチャーが育たなかったのは資金的なバックアップがなかったから、という反省の上に、国は直後からベンチャーキャピタルの設立を促す。
 アスキーやソフトバンクは第2次ベンチャーブームが廃れて数年後、ベンチャーキャピタル設立後にやってきた第2.5次ベンチャーブームの頃のベンチャーである。

3.第3次ベンチャーブームの背景
 長引く不況対策
 女子学生の就職難 → 男子学生にまで広がり、「就職氷河期」に
  その受け皿として就職という過程をバイパスし、学生に起業を促す
 廃業率が開業率を上回ったことに対する国の危機感
 80年代のアメリカを見習え
 今回のベンチャーブームは国が仕掛けたブームであり、手厚い保護の元に促成栽培されたため、ひ弱なベンチャーが次々に誕生

4.最初の罠は1円起業
 商法が改正され、会社法で最低資本金制度が撤廃
 1円起業の時限立法を恒久化
   従来、株式会社の最低資本金1,000万円を撤廃

 <起業は易く、維持なり難し>
  会社設立1年以内に倒産・廃業する企業が60〜70%
  小資本企業は起業も早いが潰れるのも早い
    資本金を集められない=人脈、信用なし

5.次に待っているのが「ほめ潰し」の罠
 起業後1年以上生き残るのは30〜40%の難関だが、この最初のハードルを超えれば次に待っているのは甘い誘惑である。
 なかでも危険なのは行政という名の「美女」。
 起業後1年以上生き残っているベンチャーはなんらかの形で行政の補助金をもらっていたり、インキュベーション施設に入居するなど、行政に「借り」を作っている可能性があり、行政から「ささやかれる」と断れない。
 「成功談を話して欲しい」という美女の甘いささやきに乗って有頂天になっていると本業のビジネスが疎かになり、気が付いたときには取り返しのつかないことになる。
 過去、この「ほめ潰し」の手でどれだけ将来性あるベンチャーが消えていったことか。
 「美女」の甘い誘惑は起業1〜3年目あたりでやってくるから用心。

6.3年目の浮気にご用心
 昔から失敗するのは「賭け事と女」と相場が決まっている。
特に危ないのは女!
若くて、きれいな美人秘書を雇い出すと、会社はほぼ間違いなくおかしくなる。
「ライブドアも美人秘書がしゃしゃり出だした時に、あっ、この会社はダメになると思った」と話すと会場は大笑い。
「××さんとこ大丈夫か」「○○会社の社長がそや。若いかわい娘秘書にしとったで。ゆわれる通り潰れてしもたがな」
 と口々にしゃべり出し、会場はしばし笑いに包まれた。
どうやら皆、身近に思い当たる例があったようだ。

 「女」=色気(事業の)、浮気(事業の)

 要は3年から5年目頃になると事業もそこそこ軌道に乗りだし、気の緩みも出るし、他の事業への色気も芽生えてくるが、まだまだ足元を固める時期であり、浮かれたり、他のことに色気を出すべきではないということだ。

7.上場は魔物、気分上々とはいかない
 最大の罠は上場前後に待ち受けている。
ベンチャーキャピタルが入ってくると彼らのスケジュールで事が運ばれるようになり、途中で修正がきかなくなる。
雑務も増え、組織の硬直化も起きる。
上場スケジュールに合わせるため無理もする。
 ライブドアも無理をした結果である。
上場は気分上々とばかりはいかない。

8.権力は簒奪せよ
 最後にバトンタッチの話に触れ
「代表権は40代の時に譲ってもらえ」
「代表取締役が付くのと付かないのでは外部の評価も、自分の自覚も違う」
「譲られないなら自ら簒奪しろ」
「50代半ばで代表権を持っても守りに入り冒険ができない」
 とハッパをかけた。

 バトンタッチは権力豊臣秀吉型ではなく徳川家康型が勧める。
秀吉は権力にしがみつき、弟に権力を渡さず、晩年にできた子、秀頼に権力を譲ろうとしたから体制(会社)の継承ができなかった。
 先代には早めに遺言を書かせ、仮に外に子ができても会社には入れない、会社の財産は相続させないようにしておくことが大事。

 家康は征夷大将軍になって1年で息子に征夷大将軍の職を譲り、駿府と江戸という二元政治を強いたことで徳川300年の歴史を築いた。
代表取締役会長と代表取締役社長という体制で権力の継承を図るのがいい。
もし、先代が代表権を譲らなければ武田信玄のように父親から権力を簒奪すべし。

9.父親から権力を簒奪した息子
 そう説いたところ、講演後の懇親会の席で30代の社長が挨拶にやって来て、「私は親父から権力を奪いました」と打ち明けてくれた。
 父親(創業者)が途中から入社した弟にも会社を分割して継がせる意向なのを知り、それでは長年父親の片腕として頑張ってきた自分が報われないと感じ、権力の簒奪に動いたというのだ。
 そこで何食わぬ顔で増資の話をし、増資の度に自分が応じて株の過半数を握り、ある時、創業者を追い出し、自分が代表取締役になったというからまさに武田信玄そのもの。
 会社は設立時から資本政策はきちんとしておかないと、上場したは、会社は乗っ取られたはということになる、と話した時に妙にしたり顔で頷いている参加者がいると感じていたが、彼がそうだった。
まさに事実は小説より奇なりだ。
因みに権力を簒奪した彼の会社はその後大きく成長したというから、やはり早めのバトンタッチこそが会社を成長させる。


(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る 栗野的視点INDEXに戻る