Google

 


社員を後継者にした中小企業の創業者(1)
  〜埋め立て処理を一切しない産廃企業・公協産業


 組織の大小にかかわらず後継者選びは難しい。
バトンタッチに失敗した組織が急速に崩壊への道を歩んでいるのは歴史に明らかである。
そうならないことを誰もが望みながら、願わくば直系の息子に跡を継がせたいと思っている。
能力ではなく血縁を重んじるのである。
とりわけ創業者は後継者を他人ではなく、身内にしたがる。仮に創業者本人がそこまで望まなくても、周囲が意を汲んで直系を後継者に据えることがある。三国志の世界で有名な蜀の丞相、諸葛亮孔明がそうだ。劉備玄徳は死の床に孔明を呼び次のように後事を託した。
「もし嗣子輔くべくんば、これを輔けよ。もしそれ不才なれば、君自ら取るべし」
 我が息子劉禅が助けるに値する男だと思うなら、助けて盛り立てて欲しい。才能がないと思うなら、孔明自身が禅に代わって王位に就くがいい。そう言われた孔明は「生ある限り禅さまに忠誠を尽くします」と、自らが後継者になる道を選ばず、凡庸だと言われていた直系の劉禅を後継者に据えたのである。その後、蜀の国が辿った道は歴史に知られている通りである。
孔明のように優れた男でも情に流され判断を失うのである。

 逆に、頑なに身内を自分の会社に入れなかった男もいる。ホンダの創業者、本多宗一郎氏がそうだ。彼は息子はおろか、血縁関係者を一切会社に入れなかった。本多宗一郎氏がそうだから、2人3脚でホンダを築いてきた藤沢武夫氏もそうした。
以来、ホンダの社員は身内を会社に入れないのが不文律になっているようだ。(注)
 能力本意で継がせるべきだと頭で分かってはいても、情実人事に流れるのが人間である。普通の人間は本多宗一郎氏のようにはなれない。いわんや中小企業の場合は、むしろ積極的に跡を血縁者に継がせたがるのが普通である。
 ところが最近、まったく血縁関係がない(娘婿というような関係も含めて)社員を後継者に据えた中小企業2社に出合った。
1社は岡山の公協産業(株)であり、もう1社は福岡の中野建築システム(株)である。
ただ譲り方が両社で違っていたのが面白い。

 公協産業(株)(岡山市中尾126-4)は産業廃棄物の収集・運搬・中間処理を行う会社である。私が公協グループ代表の国広秀司氏に初めて会ったのは昨年10月初め。
岡山の異業種交流クラブ「ウイング岡山21」で講演した時だったが、その後、同社のホームページ(HP)を見て大いに興味を持ち、12月始めに同社を訪問した。
 「私ども公協産業は、昭和48年の会社設立当時から、産業廃棄物の埋立処理を一切行うことなく、リサイクルをテーマに、事業展開を行ってきました。なにより、”埋立処理”がもたらす周辺環境への影響を配慮しての決断でした」
 HPのこの一文に惹かれたのだ。もし、ここに書かれている通りに埋め立て処理を一切していないのなら、それはスゴイことである。というのは、完全リサイクルを謳っても、現実にそれが実行できているところは非常に数少ないからである。そこで、ぜひこの目で実際に見てみたいと思ったのである。

 工場を案内してもらったが、その時に感心したことが2つあった。1つは現場の人間の礼儀正しさであり、もう1つはすべてがオープンだったことだ。
 同社の場合は産業廃棄物の中でも廃油の処理である。いわばそこら中廃油だらけで、ちょっと触れば手が汚れるし、歩けば革靴のそこが油だらけ、というシーンを想像していたが、これが意外にきれいだったのにも驚いた。
 どこの会社でも現場は業界外の人間にはあまり見てもらいたくないものだ。雑然としていたり、汚かったり、できれば隠しておきたいものもあるからだ。それを包み隠さずすべてオープンにするということは結構勇気が要る。
 だが、外部の人間にオープンにするということは、常に外部の目でチェックされているということであり、そのことが不正防止や事故防止の役目も果たすのである。
 「私どもは地域の住民の方にいつでも来て見てください。そしておかしなところがあればどんどん指摘してください。直していきますからと言っているんです」
 そう国広氏は言う。重要なのは「直していく」ということだ。業界内の常識が一般社会の非常識ということはどの業界でもよくある。そうしたことを防ぎ、健全な企業でい続けるためにも常に外部の目でチェックしてもらうということが必要になる。

 それはともかく、「実は年が明けたら社長を譲るんですわ」と国広氏がこともなげに言った時には驚いた。えっ、創業者ではなかったのか、と一瞬考えたほどである。
 今年60歳とはいえ、いまは昔と違い皆まだまだ元気だ。それだけに経営のバトンタッチをまだしたがらない人が多い中で、早々とバトンタッチするというのだから潔い。おまけに次期社長の年齢が35歳と聞いてビックリ。思わず「息子さんですか」
と聞いたほどだ。娘だけで、息子はいません、と聞かされても、それなら娘婿かと思ったが、「血縁関係は一切ない」と言われ二度ビックリ。「よく思い切りましたね」と、つい言ってしまった。後継者を社員にしたことだけを指して言ったのではない。35歳という年齢に「若すぎるのでは」という感じが少ししたからだ。こちらの意図を即座に理解した国広氏は「私が事業を起こしたときは20代ですから十分やれますよ。このくらいでやらせてみないと」と続けた。
 35歳の若い新社長とはいえその前から専務取締役として経営の勉強はさせていたから不安はない、とのこと。また社長昇格と同時に同じく35歳の取締役を専務に昇格させる人事も行っている。そして国広氏本人は会長就任かと思ったが、相談役へと退いてしまった。とはいえ、グループ代表として引き続き公協グループを率いていくことに変わりはない。
 (注)ホンダ元副社長・西田通弘氏は「本田宗一郎と藤沢武夫に学んだこと」の中で次のように記している。
「ホンダは、創業時は同族会社としてスタートしている。しかし、急速な成長に伴い、将来を考え、同族支配の排除に踏み切った。もちろん、同族会社にはそれなりの長所がある。しかし、同時に短所もある。本田さんは、企業の成長拡大に伴い、短所が目につく恐れが出てきたと判断し、転換を決断したのである。
 そこで、本田さんは、ホンダの成長発展に貢献してきた二人の弟や親友に、辞任を求めた。また、子供は最初から会社に入社させなかった」
 最近は身内入社に対してそれ程厳しくなく、ホンダの社員も身内を入社させているようだ。



(著作権法に基づき、一切の無断引用・転載を禁止します)

トップページに戻る 栗野的視点INDEXに戻る