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明治・江戸時代の酒をいまに復元した2社


純米酒は飲み口スッキリ、悪酔いもなし

 今回はちょっと息抜きに日本酒の話を。
日本酒のランクは特級、1級、2級という分け方から、近年は吟醸、純米、本醸造という品質による分け方に変わってきた。
それでも一部に上撰という、以前の1級に代わる呼び名を使っているところもあるがほとんどが吟醸、純米、本醸という表示だ。

 ところで、なぜ1級、2級ではなく、吟醸、純米、本醸造に変わったのか。
実は以前から全国有名ブランドの酒より地酒の2級酒の方がおいしいといわれていた。
 なぜなのか。
それは酒税法とも関係しているが、等級審査には金がかかるので地方の小さな蔵元はどうせ売れるのは地元だけだから等級などいらんと審査を受けないところが多かったのだ。
審査を受けない酒はどうなるのか。
自動的に2級にランク付けされるのである。
つまり中身がどんなによかろうと、等級は2級なのだ。
だから2級酒なのに有名ブランドの1級と同じ、あるいはそれよりおいしいという捻れ現象が起きていたのである。
そこで等級制を廃止し、品質表示に変えたのが平成2年4月施行の酒税法から。

 吟醸、純米、本醸造の区別はなにかというと、精米度数とアルコールの添加、無添加による。
醸造用アルコールを一切加えてないのが純米酒で、残りの2種類は醸造用アルコールを加えている。
 日本酒は悪酔いする、といわれるのは醸造用アルコールのせいで、純米酒ならは少々飲んでも翌日すっきりしている。
だから飲み過ぎてすえた臭いをさせたり、二日酔いで頭ガンガンという様になりたくなければ純米酒を飲むに限る。
 遡れば日本酒は純米酒で、醸造用アルコールを加えだしたのは戦後の物資不足の特例で認められたようなものであり、三増酒という呼称も醸造用アルコールを加えて3倍に増やしたことからきている。

 さて、昔の酒といってもいつ頃のことをいうかという問題はあるが、初期の酒は濁り酒だったようだ。
しかし、飛鳥時代の遺跡から「須弥酒(すみさけ)」という文字が発見されているから、すでにその当時、清酒のように澄んだ酒があったらしい。
「須弥(すみ)」とは「澄み」の意であり、「須弥酒(すみさけ)」とは「澄み酒」、つまり上澄みをすくい取った酒、あるいは濾(こ)した酒を意味している。

 ただ、そんな昔の酒がどのような味だったかまでは分からないが、江戸、明治時代の酒の味なら分かる。
なぜ分かるのか。
それは当時の酒を造っている蔵元がいまも存在しているからである。
江戸時代の酒を復元した蔵元が1社、明治時代の酒を復元した蔵元がやはり1社存在している。
ともに福岡県内の蔵元だ。

復元に4年余りの歳月を
費やした「明治乃酒」


 明治時代の酒を復元したのは池亀酒造(株)(久留米市三潴町草場545、蒲池輝行社長)の前社長、故蒲池励氏。農学博士だった。
酒の名前はそのものズバリの「明治乃酒」

 復元のきっかけは「文化人、識者の方々より『昔のような酒はないか』とのアドバイスを受けたこと」に始まり、「初代、蒲池源蔵の当時の酒造りの技を参考に試行錯誤を繰り返し、4年あまりの歳月を費やして完成」させたようだ。

 福岡県産の山田錦を50%以上も精米し、麹を手作りで仕込み、絞ったもろみには一切手を加えず、出来上がった酒は濾過を一切しないなど徹底的に手作りにこだわっている。

 まさに現在の科学的で均一化された酒造りへの挑戦、あるいはその対極にある造り方といえよう。
モノづくりにこだわる農学博士故にできたといっても過言ではないだろう。

 かくして出来上がった酒の色は琥珀色。
香りは芳醇そのもの。
人間に例えるなら匂い立つような美人の熟女。
いやいや例えがはしたない。
ここはさしずめ虞美人か楊貴妃かと訂正しておこう。
 蒲池励氏は「他に類を見ない輝くばかりの黄金色」という表現を使っている。
この酒を復元した時の氏の喜びようやいかようだったろうか。
4年以上の歳月を費やしての完成である。
まさに快哉を叫びたい心境、いや、叫んだに違いない。

 さて、その味である。
「高雅で円熟味のあるフルーティーな香りと滑らかな喉ごし」と氏は表現している。
恐らく絶世の美女に出会った時に似た五感がしびれるような感覚を覚えたに違いない。
いけない、またまた女性に例えてしまった。
故人に敬意を表し、これ以上の私のコメントは差し控えよう。
ひと言、「旨い」。
味、香り、色、喉ごし、言うことなし。
度数は16〜17度と高め。

 惜しむらくは採算度外視、営業度外視で造っただけに、720ml 5,000円、1.8リットル10,000円と価格がちょっと高めだ。
金に縁がない私には涎は出ても手が出ない。
金も手も出る人には、ぜひとも一度飲まれることをお勧めする。
まあ、少なくとも日本酒について語るなら、この酒を知らずして語るべからず、と言っておきたい。

 もう1点、苦言を呈するなら、ネーミングとデザインのまずさである。
マーケティング不在といっていいかも分からないが。
明治の酒では誰もありがたがらないし、さほど興味もわかないだろう。
この辺りに前社長が技術者ではあっても経営者ではなかったような感じを受ける。

昔の酒は琥珀色、度数は17度と高め

 その点、もう一方の蔵元にはうまさを感じる。
こちらは江戸・元禄時代の酒を復元した若竹屋酒造場(福岡県久留米市田主丸)。
13代林田伝兵衛氏(現社長は14代)が残っていた古い資料を発見し、創業時(元禄時代)の酒を復元したものだが、氏は大阪大学工学部卒の工学博士。
この辺りは故、蒲池励氏の経歴と似ていて面白い。

 13代伝兵衛氏も非常に苦労して復元されたようだ。
酒の色はやはり琥珀色。
馥郁たる香りがすることから「馥郁元禄之酒」と名付けている。
 ともに復元した時代を商品名に入れているが、「元禄之酒」ではなく、「馥郁」を加えて「馥郁元禄之酒」としたところに一歩ネーミングのうまさを感じる。

 通常は720ml、1.8リットルだが、丸い瓶入りがあり、ニューヨークに行った時この瓶入りの酒を土産に持参し非常に喜ばれた記憶がある。
 日本酒とは言わずに注いで見せ、「これは何と思うか」と聞くと「リキュールの一種だろう」という返事が返ってきたものだ。
 こちらも度数は17度と高め。
どうも昔の酒はいまよりアルコール度数が高かったようだ。
価格は720ml 1,680円(化粧箱入り)

 「馥郁元禄之酒」にもひと言苦言を呈しておくと、化粧箱にこの酒のいわれを書いているのは感心するが、「垂涎の的」と書くべき所を「垂誕(すいぜん)の的」と書かれていることだ。「垂涎」とはよだれを垂らすという意味だから「さんずい」でなければおかしい。それを「ごんべん」に「延」としてしまっている。さらに悪いことにわざわざ「すいぜん」とルビを打っているものだからよけい目立つ。そこだけ紙を貼って訂正しなさいと助言しておいたが、いまだそのままのようだ。


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