「供給過剰ではないか」と心配する声をよそにここ数年全国的にホテルラッシュである。福岡でも92年春の「博多エクセルホテル東急」(博多区中洲、308室)オープンに続き、93年7月「ハイアット・リージェンシー・福岡」(博多区博多駅東、248室)、95年4月「シーホーク・ホテル&リゾート」(中央区地行浜、1052室)と相次いでオープン。さらに今後、キャナルシティにグランドハイアット(371室)、ワシントン(423室)、下川端にオークラのオープンが控えている。いよいよ生き残りを賭けた福岡ホテル戦争の幕が開く。
異業種参入の新参者ホテルが 皇太子の宿泊先に選ばれた理由
1995年8月23日ーー。この日は福岡のホテル業界にとって「天下分け目の戦い」になった。いや、「関ケ原」の思いをしたのはホテルだけはなく、福岡市にとっても同じことだった。もし女神の代わりに悪魔が微笑んだら、そう思うと関係者は生きた心地がしなかったかもしれない。だが、悪魔は最後まで微笑まなかった。「いい感触だった」。気に入って頂けた、という意味のことをホテルの関係者は控え目な言葉でこう語った。 この日はユニバーシアード福岡大会の開催日であり、ユニバ名誉総裁の皇太子殿下がご夫妻でお見えになられたのである。そして宿泊先に指定されたのがシーホークだったのである。 シーホークはダイエーグループが作ったホテルであり、ホテル専業企業から見れば異業種からの参入である。しかも4カ月前の4月28日にオープンしたばかりである。その新参者に皇太子のご宿泊先を奪われたのだから、老舗ホテルは歯ぎしりして悔しがったに違いない。 ところで、なぜ、シーホークが選ばれたのだろうか。ホテル関係者でなくても疑問に感じるのは当然である。そして後に、このことがただ単に皇族がお泊まりになられたという以上の意味を持ってくるだけになおのことである。 「宮内庁がお決めになることですから」。森下良吉・ツインドームシティ取締役広報室長はこう言い、ありとあらゆる人脈と資産を活用した営業攻勢をかけたのではないかという見方を否定する。人脈という面で思い当たるのは、ツインドームシティの中内正社長夫人が華子様の姪に当たられるという点である。だが、この人脈がそれほど強力な力を発揮するとも思えない。むしろ問題なのは警備面やサービス、それにスイートルームの内容等の方だろう。 実はこの点でシーホークは他に抜きん出ているのである。「福岡はコンベンションシティですから、将来的にはロイヤルだけでなく世界各国のVIPもお見えになるだろうということを想定して、当初から防弾ガラスの装備とか専用入り口・エレベーター等諸々のハード対応はしています」と森下取締役。当初から警察等のニーズを聞いて建設しているのだから、「既存のホテルよりはるかにいい」と言う。確かにハード面では後から建設するホテルの方が有利である。
異業種が突き付けた挑戦状 平静を装う名門のプライド
ハード面だけで決まるのなら常に最新の設備を誇る新しいホテルが有利ということになる。だが、ひたすら伝統と格式を重んじ、最高のサービスを要求するあの宮内庁がそんなことで選ぶわけはないだろう。財界団体ですら未だトップは重厚長大企業出身で占めているのだから、「時代が変わった」とか「時勢」という言葉で説明が付くようなことではないのは明らかだ。第一、ホテルニューオータニ佐賀建設のいきさつを考えても明らかである。佐賀国体の際に天皇がお泊まりになるホテルがないからと、佐賀県がニューオータニに頼んでわざわざ進出してもらったのである。そういえばニューオータニ博多も渡辺通再開発の要として進出してもらったのだった。そのため地の利の悪さに未だ苦しんでいるようだ。いわばニューオータニは福岡市に貸しがあるわけだ。なのにあっさりと「新参者」に持っていかれたのだから、さぞや悔しがっているに違いないと思いきや、「ドームで開会式が開催されるというような諸条件が重なっていますから」(橋口善繁・マネージメントサービス部係長)とさほど意に介していない様子である。 さて、筆者がこれほど皇太子の宿泊先にこだわる理由は、この時をきっかけにホテル業界が新旧入り乱れての熾烈な生き残り戦争に突入したと考えるからである。 ホテルの売り物はステータスとサービスである。ステータスを計る尺度はどのランクのVIPが利用するかである。そのトップに位置するのが国内では天皇であり、次が皇太子。つまり皇太子の宿泊先に選ばれることでホテルのステータスは飛躍的にアップするわけだ。「VIPの宿泊というが採算面ではペイしない」という業界人もいる。たしかに超VIPともなれば警備の関係上そのフロアや隣接フロアの閉鎖など稼働率は下がる。だが、中長期的な目で見ればVIPが宿泊したということが大いにPRになり、ペイしないどころか、十分ペイするのである。特にシーホークのようにオープン間もないホテルにとってはなおのことである。名も実も取ったというのは果たして言い過ぎだろうか。
「シーホークはホテルではない」 「ニューオータニの時代は終わった」
「予想していたほどではなかった」。シーホークの影響についてニューオータニ博多の橋口係長は笑みを浮かべて言った。ホテルの収益部門は客室、宴会、ブライダルと分かれるが、まずブライダルに関しては「層が違う」と言い切る。94年度の607組に対して今期は632組とむしろ増えているのだ。さらに客室稼働率についても昨年度の69.6%から今期は72%と増えている、と言う。 シーホークのブライダルは約820組。ホテル内にチャペルがあるなど「よそにはない魅力」やブライダルの「新しい提案」が受け入れられたと森下取締役は採点する。客室の稼働率も「初年度の目標数字70%はカバーした」と言う。特に週末は90%を超える稼働率で、若者をターゲットにした「日曜日の宿泊が50%OFF」になるシーホークメンバーズカード戦略が当たったといえる。客室数を考えれば大健闘に違いない。こうした状況を見て「もうニューオータニの時代は終わった」と評する業界関係者もいる。 一方、老舗ホテル側にはシーホークを「テーマパークでホテルと呼べる代物ではない」と見る向きもある。むしろ本当のホテル戦争はグランドハイアットやオークラとの間で始まるというわけだ。とはいえシーホークが突き付けた挑戦状はホテルとは一体なにか、というホテルの存在理由そのものを問い掛けるものだけに、「カテゴリキラー」とか「テーマパーク」という言葉で簡単に片付けられるものではなさそうだ。 データ・マックス刊「I・B」掲載 |