ベンチャー企業として成長しかかった段階で会社が破綻したり、株式上場後に創業者が会社を去らなければならないという例が相変わらず多い。オーケー食品工業鰍フ創業者・片山博視氏(現IMB且ミ長)も株式上場から4年後に経営権を取り上げられ、さらに4年後、ついに会社から去ることになる。
なぜ、そうならざるを得なかったのか。どこに問題があったのか。そこには多くのベンチャー企業経営者に共通する問題点があった。
(聞き手 ジャーナリスト・栗野 良)
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オーケー食品工業鰍フ創業者、片山博視氏の母が戦後、闇市で油揚げを販売し始め、その後、家業を手伝うようになった博視氏が味付け油揚げの販売を考え付く。当時、得意先だった寿司屋に納品しようとするが、相手にされず販売先としてスーパーを選ぶ。
これが当たり、商売の基礎を作るが、原価計算も知らずに商売をやっていたためやがて行き詰まる。だが、手を差し伸べてくれる人が現れ再挑戦。昭和52年にそれまでの有限会社を組織変更しオーケー食品工業鰍設立。昭和62年、いなり食品工業鰍ニオーケー食品販売鰍合併し業務を拡大。そして平成元年11月、株式を店頭公開する。
2年延ばしていれば
何も起こらなかった
−−オーケー食品の業績が悪化し、片山社長が経営の1線から退かざるを得なかった原因は、当時キノコ栽培に手を出したからだと言われていますが、なぜ、キノコ栽培だったのですか。
片山 キノコに手を出したのは本当に偶然だったんです。当時、研究所の方で油揚げ製造過程で出るおからを使ってキノコを栽培できないかと、まあ遊びみたいな形でやっていたらできたんです。そこから私の運命が変わったわけです。
−−業務用の味付け油揚げの方は順調に行っていたのでしょう。
片山 うまく行っていた分とそうでない分と両方ありました。
私が判断を誤ったのは平成元年の店頭公開をする1年程前に値上げを考えたんです。営業の方からは大分反対されましたが、ずっと値段を据え置いてきていたので値上げをしたわけです。
この時がその後のオーケー食品を決める重要なターニングポイントでしたね。
平成元年の店頭公開を、仮に2年程延ばす決断を私がしていれば何も起こってなかったんですが、店頭公開後の数字を順調に持って行くためにキノコに手を出したんです。というのは、油揚げの市場が見えていたから、油揚げだけでは業績を伸ばすことができない。新しい分野、新しい商品が必要だと考えたわけです。
−−なぜ店頭公開を急がれたのですか。
片山 株式公開というのは魔物ですよ。ベンチャーキャピタル(VC)が尻を引っぱたいてくるわけです。彼らは売り逃げというか、公開させて利益を得ればいいわけですから。それに乗せられてしまった。誰も止めないしね。すべては自分の判断の誤りから来ていることですから、誰を恨むわけでもありませんが。
昭和62年('87年)〜平成2年('90年)は全国的に株式公開ブームで、九州でも昭和63年に仏壇製造・販売のはせがわが、平成2年には正興電機、ホームワイド、昭和鉄工が相次いで上場している。新聞各紙も上場予備軍を掲載するなど上場を煽る風潮があった。
日本のVCは
本来のVCではない
−−当時、全国的に株式公開ブームでしたから、それいけと煽る風潮があり、それに乗せられたところが多かったような気がしますね。
片山 業界の中でも株式公開した後、あっという間にダメになったところを知っていますが、恐らく私と同じようなケースではないかと思いますよ。無理をさせられたというかね、展開を。
−−VCが入ると株式公開に向けてスピードアップするから無理をして公開する。結果、上場前後にダメになるベンチャーが多いので、私は注意を促しています。
片山 一度そういう経験をしているから、ここ(IMB)も当初から株式公開を目ざしてはいますが、絶対VCだけは入れるなと言っている。日本のVCは本来のVCではない。
VCが入ることによって出て行けるというものはない。知らないところがやられるだけだ。
足が地に着かない
状態になっていた
−−ところで、もう一度店頭公開直前の動きをお聞きしたいのですが、なぜ売り上げが下がったんですか。
片山 いなり食品とオーケー食品を合併させ、大刀洗工場に滅菌ラインを設計させ稼働させたが、これがうまくいかず、もうダメではないかと思う程大きなダメージを受けたんです。それでもその年、黒字では過ごしたんです。
本当は完全に立ち直ってしまうのを見届けて店頭登録をすればよかったんだけど、自分自身が足が地に着かない状態になっていたんですね。
もう一つは、これが非常に大きかったと思うんですが、私の気持ちを動かしたものに、店頭公開をしても油揚げだけでこの先、業績を伸ばして行くには限度があると考えたんです。向こう岸が見えているというか、マーケットの大きさが見えてしまっていた。
従って、油揚げだけで店頭登録しても業績を伸ばすことができない。なにか画期的な新分野に出るか、新商品を出さなければ、と考えていたんです。だが、残念なことに、誰も分からんわけです。専務だ常務だと言ってもね。
株式公開をするまでになった会社でも、ほとんどが社長の創意とか創造力におんぶに抱っこしているだけで、それ以上の何ものでもない。その程度の会社なら、本来なら株を上場しない方がいいと思っています。その程度の人材しか来ない会社なら上場してはいかんと、いまは思っています。
まさに、いまオーケー食品はその通りなんです、残念ながら。こんな田舎で、優秀な人材なんか来るわけがないんです。ましてや銀行出身者がトップでしょ。銀行から来たからといってなにかモノを作りきるのか、作る方法が分かるのか、技術が分かるのかということです。
−−滅菌ライン建設の失敗について、もう少し詳しく教えて下さい。
片山 私がアイデアを出し、設計をさせていたんですが、メーンで設計していた人間が目を悪くしたたので、他の人間に変えて設計していたんです。その設計に基づいて機械を発注したんだが、その人間は制御の部分ができなかったんですね。私はそれを知らなかったんです。
機械を据え付けて動かそうとした。ところが制御装置が入ってなかったんです。施工業者もそのことを言ってくれればよかったんだけど。
−−部分的にどこかがおかしいということではなく、制御装置そのものが入ってなかったということですか。
片山 そうなんです。
−−驚きですね。
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