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アニマ電子を倒産させたのは誰だ!(前)

 順風満帆の陰で乱れ飛ぶさまざまな噂

 アニマ電子梶A自己破産申請――。
ベンチャー関係者の肝を寒からしめるようなニュースが流れたのは11月30日朝だった。負債総額は約10億5,000万円。誰もが「まさか」と思ったに違いない。たしかに夏頃から同社を巡る様々な噂が流布されてはいた。しかし、同社は福岡を代表するベンチャー企業である。「福岡ベンチャークラブ」の会長に選ばれるなど行政側の期待も大きかっただけに、ベンチャー関係者に与える影響には計り知れないものがある。なぜ、同社は自己破産したのか? 果たしてベンチャー支援のあり方に問題はなかったのか?


 起業してカラスの撃退装置を開発

 「本当に残念だ。いまはなにも考えられない」。
福岡県のある職員は呆然とした表情でこう語った。多くの人が寝耳に水だったに違いない。それでも今夏8月末、福岡営業所(福岡市博多駅南)を撤退した頃から「厳しいらしい」という噂が一部ではあった。それにしてもまさかここまで……、というのが大方の共通した思いだろう。
 同社は福岡大学工学部電気科を卒業した山本隆洋氏が三機エンジニアリング等の職歴を経た後、昭和59年に39歳でアニマ電子鰍設立したものである。最初に開発したのがカラスの撃退装置「アニマルショック」というのはいまでは有名な話である。カラスが仲間に知らせる警戒声や危険声を音声合成ロムチップに入力し、カラスの体温をセンサーで検知して、カラスが接近してきた時にスピーカーで警戒声や危険声を再生して追い払うというのが装置の仕組みである。
 いってみればコロンブスの卵的なものだが、この装置を開発するために生物書を読みあさり、カラスを飼って一緒に寝泊まりまでしたというのも有名な話である。こうして開発した装置を電力会社に売り込みに行き、それが縁で後に東京電力からテレビセンサーの開発話がくることになるから世の中面白い。


 テレビセンサー開発で基礎を

 その時、呼ばれたのは我が国を代表する重電機メーカー各社。その中にベンチャーもベンチャー、株式会社とは名ばかりの、たった1人の小さな会社が呼ばれたのである。
 ところが出された開発条件があまりに厳しく、並み居る大手企業が次々と開発を辞退する中で、同社だけが「やりましょう」と言ったのだ。とはいえ、勝算があったわけではなく、「ベンチャーだからやるしかなかった」わけだ。なんとか開発した1号機はとても使えるような代物ではなかったが、「それでもアイデアだけは認めてもらい」、なにがしかの開発費をもらっている。
 だが、その頃はもう「台所は火の車」で、雇った3人の従業員も2人が見切りをつけて辞め、本人も質屋通いをするほど困窮する。それでも1号機開発から半年後の平成元年に2号機を開発。この頃から徐々に運が開けてくるのだが、この時エンジェル的な役割を果たした人物(企業)が2人いた。1人は住商機電販売の社長で、代理店契約を結び、とりあえず販売保証金として1,500万円、デモ機材3セット1,500万円の計3,000万円を契約してくれる。これが救いになったようで、氏自身後に「それがなかったらダメだったでしょうね」と語っている。
 もう1人は九州銀行の支店長である。どこの銀行に相談に行ってもすべて断られていたのを、たまたま来た同行の営業にダメもとで事情を話したところ、支店長に会わせてくれ、支店長決裁で200万円の融資を受けたのである。この200万円で資材や部品を買い、住商機電販売にデモ機3セットが納入できたのだ。後に同社の経理担当専務に就任した大野氏は九州銀行OBで、この時に同行に助けられたのが縁である。


 ベンチャーの雄ともてはやされ

 以後の歩みは比較的順調で、平成4年に九州産業技術センター優秀賞を受賞、同5年九州・山口地域企業育成基金から助成金を、研究開発型企業育成センター(VEC)の債務保証を受け、さらに大阪中小企業投資育成会社から3,000万円の投資を受けるなどし、この年資本金を9,000万円に増資している。同8年のクリントン米大統領来日の際にはセキュリティ装置として警察庁から緊急注文20台を受けるなど、技術力への評価は高かった。
 さらに平成8年8月には福岡県の「ベンチャー育成支援事業」の第1号認定企業として、ベンチャーキャピタルを介して1億円の投資を受け、ことし2月には「福岡ベンチャークラブ」の会長に選任されるなど、まさに順風満帆。
 それでは、なぜ? というのが一般的な反応だろう。本稿を執筆中にも知人から電話がかかってき、「なぜ自己破産したんですかね。そうなる前にどこも救いの手を差し伸べられなかったんでしょうか」と言ってきた。たしかにその通りである。ベンチャーの雄とまで言われた同社である。助けられなかったはずがない。そんな無念の思いがあるのだろう。その点は筆者とて同じである。


 セコムとの間にOEM生産の話も

 だが、その一方で「山本氏は結構したたかな男だ。今回の自己破産にしても不可解な部分が多い」という話もある。
 あるベンチャーキャピタリストは「なぜ、この時期に自己破産したのか」と首を傾げる。彼は「現在のメインバンク、福岡シティ銀行は9月、10月と目一杯助けてきたはず。それなのに、なぜ急に見限ったのか」と不満をぶちまける。
 マスコミ報道などでは「糸島郡に購入した不動産が資金繰りを圧迫していた」とあるが、糸島の不動産購入資金は約1億5,000万円。負担になっていなかったとはいえないが、それが原因で破産とはちょっと思いにくい。
 第一、同社はセコムとの間で商談が進行していたのだ。それも第1次出荷分100台の商品検査が終わり、セコムサイドからOKも出ていた。セコムとの直接取引でないとはいえ、今後OEM製品として随時出荷できるはずであり、そういう話を前に破産というのはちょっと解せない。しかも販売代金はまだ手にしてないらしいのだ。同社とセコムの間に入ったのは新明和エンジニアリングという東京の会社。同社の方でも今回の破産は寝耳に水らしく、「支払い義務もあるし」と大慌てで福岡へ飛んできている。


 経理面にルーズな一面も

 「同社はいろいろ問題があった会社」と指摘する人間もいる。VCや監査法人などにこうした見解が多いことを考えると、どうも経理面でずさんさが目立ったようだ。そういえば、同社には銀行出身の専務がいたが、少し前に辞めている。それ以来、金の流れがずさんになったと考えられる。あるいは山本氏と経理面でなんらかの衝突があり、それで辞めたのかもしれない。彼が退社した後は山本氏の子息が管理副本部長に就任し、経理・総務をみていたようだから、以後の経理面がずさんなのは推して知るべしということだろう。
 今夏、資金調達のための第3者割当増資をVCなどに打診した際も、発行価格が合わず、VCから引き受けを辞退されているが、この時から急速に資金繰りが綱渡りの様相を呈してきたようだ。いずれにしろベンチャーの雄ともてはやされる一方で、正反対の人物像も浮かび上がってくる。次回は同社倒産の責任はどこにあるのかについて触れる。


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