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創業者と後継者の確執−−フタタの選択をどう見るか(2)

会社は誰のために

 フタタを巡る経営統合の背景に、市場が縮小する2007年問題があることは前回述べた。
市場の縮小幅をどの程度と捕らえるかで組む相手も決まってくるが、フタタはAOKIではなくコナカを選んだわけだ。

 一般的に市場を見る場合、1つの市場の中でも縮小する分野と拡大、あるいは新たに創出する分野があるので、一方的に捕らえるのではなく、総合的、複合的に捕らえていくことが大事だ。その上できちんとした戦略を立てることが必要である。
 しかし、最近の日本人はというか、日本企業は戦略不在、哲学不在で、行き当たりばったりの経営をしているところが多いように見受けられる。
企業は金を儲ければ何をしてもいいというわけではないだろう。
なんのために会社を作っているのか、
会社存続の目的は何なのか、
社員の幸福とは何かを考えなければならない。

 そういう意味ではフタタの若き社長、二田孝文氏は経営統合先にコナカを選んだ理由の一つに、当社の社員は紳士服が好きで入ってきているので、そういう社員にカラオケなど紳士服販売以外のことをやれとはいえない、というような意味のことを挙げていた。
 もちろん、この言葉が表向きの理由だとしても、「会社は誰のために存続するのか」という基本的なことを改めて示した意義は大きい。
社員のモチベーションが会社の再建を大きく左右するからである。
にもかかわらず、社員を置き去りにしてM&Aを行う経営者が多い。
王子製紙と北越製紙のM&Aの例にも見えるように、そうしたやり方が失敗するのはある意味当たり前だろう。

子離れできない創業者

 ところで、今回のフタタ問題の隠れた核心は<創業者と後継者の確執>といえる。<バトンタッチの問題>と言い換えてもいいが、この古くて新しいテーマこそが今回の核心であり、多くの企業が常に直面しているテーマでもある。

 どの企業でもそうだが、創業者にとって会社は子供同然、いや子供以上に可愛い存在に違いない。
 であるが故に、親が子を見るように(愛情を持って見守るという意味以上に、子を親より格下の存在と見るように)、いつまでも接してしまう。
 親の目から見れば子はいつまでたっても子で、自分を超えられない存在と映るのはやむを得ないが、何かにつけ口を出し、その度に「やはり俺がいないとダメだ」と言っていては感謝されるどころか煙たがられるのがオチだろう。
 こうした態度は子を育てるというよりは、ただ単に1線を離れた自らの寂しさを紛らわしているだけで、自分の存在意義を確認するために口を出しているようなものだから迷惑以外の何ものでもない。
子が親離れをしないのではなく、親が子離れできないのだ。

なぜ、代表権を持ち続けたいのか

 九州でもワンマンと言われた創業者ほど子離れが出来ず、社長を退いた後も代表取締役会長として実権を握り、その後も代表取締役相談役、代表取締役名誉会長と実権を握り続けた経営者もいる。
 相談役、名誉会長になってまで代表権を持ち続ける感覚はちょっと信じられないが、社長時代に実績を残した人ほど権力を手放したがらないようだ。

 たしかに子(新社長)がすることは危なっかしくて見ていられないかもしれないし、時には腹立たしく思ったりすることもあるに違いない。
 しかし、だからといって、いつまでも手を放さなければ、子は自分の足で進むことは愚か立つことさえ出来なくなる。
 ちょうど自転車に乗り始めの頃、親が後ろをいつまでも支えて走るのに似ている。親の方が心配で手を放せないのだ。これでは子はいつまでたっても自転車にうまく乗れない。

権力譲渡されない娘婿

 自分の子供に社長職を譲るのでさえこれだから、血縁がない人間、例えば娘婿ともなれば尚のことである。
 九州でも三井ハイテック、高田工業所など名の知れた企業の創業者が娘婿に社長職を譲りながら、結局我慢ができずに些細な失敗(?)を機にトップ交代で自分が社長に復帰した例が結構多い。
 経営責任を言うなら自らの任命責任はどうなのか。
そこを抜きにして会長兼社長などというものだから、つまるところ自らが権力を持ちたいだけではないかと思われるのだ。

 どうも娘婿という立場は微妙なようだ。
身内には違いないが、血縁者ではないので、財産を奪われるとまでの感情はないにしても、どこかしっくりこない所があるのかもしれない。
逆に娘婿の方からすれば義父に対する多少の遠慮もあるだろうから、権力簒奪とまでは言わないが、代表権を完全に譲って引退しろとは言えないのだろう。
よくいえば、互いに相手を尊重しているんだが、どこか本音でぶつかり合えない部分が片方には今一つ任せられないという思いになり、他方には遠慮となって出るのだろう。
むしろいっそ他人の方が諦めがつくのかもしれない。

二重権力は組織を弱体化させる

 さて、フタタの場合である。
相談役に退いたとはいえ創業者である義松氏にとって、この数年のフタタの現状には忸怩たる思いがあったに違いない。
 もしかすると、水面下でAOKIに声を掛けたのは義松相談役だったかもしれない。そう考えれば青木社長の妙に自信たっぷりだった発言にも納得が行く。
 恐らく義松相談役にとってはコナカとの経営統合は納得いかなかったかもしれない。
最後の場面で自分が前面に出てきて、AOKIとの経営統合を進める手もあっただろう。
しかし、それをせず、最終判断を社長に任せ、自分が表に出ることなく社長の判断を支持した。
この点を高く評価したい。

 乱世になると、創業者はいくつになっても胸がワクワクし、じっとしていられなくなるものだ。
だが、危機に直面した時ほど団結が必要になる。
もし、相談役が最前線に出てくれば古参幹部は相談役の言うことに従うだろう。
そうすれば社内が二重権力状態になる。
コナカ、AOKIのどちらと経営統合することになっても、社内が分裂した組織はその後弱体化をたどるのは間違いない。
そうしたことだけは避けたい。
そういう思いが相談役にあったのではないか。

 危機に直面したときに必要なのは指揮系統の統一である。
司令塔が2つあれば部下は迷う。
迷いが組織を弱くする。
これは歴史の常である。

 今回のフタタ問題で、私は義松相談役の最後の態度をなにより評価したい。
だからといってフタタの将来が明るくなるわけではない。
コナカと組もうとAOKIと組もうと、それで生き残れる程甘くはないし、現在、紳士服業界を取り巻いている問題は1私企業の思惑でなんとかなるようなものではない。
ただ、それでも、敢えていえば、仮に負けると分かっている戦いでも戦い方があるし、負け方が大事ではないだろうか。

 これから先は社長である孝文氏の戦い方にかかっている。
創業者タイプの戦い方が出来るか、それとも2代目の甘さが出るか。
一つ言えるのは社長室を出て、自ら社員の先頭に立ち、現場で戦えるかどうかだろう。
創業者と後継者の決定的な違いは体で考えるか、理屈で考えるかだ。
危機に直面したときは頭より体の方が強いことがある。


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