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フタタの選択をどう見るか(1)

2007年問題が背景に
縮小するパイの奪い合い

 8月7日、AOKIホールディングス(以下AOKIと略)が突然とも見える形で紳士服販売のフタタに経営統合を提案した。フタタは当初AOKIから切られた期限の14日を18日まで延ばして検討した結果、嫁入り先をAOKIではなくコナカにした。
その結果を受けてAOKIは株式公開買い付け(TOB)の実施を中止し、フタタを巡る争奪戦は一応終わりをみせた。

 このフタタを巡る争奪戦、例えてみれば婚期を逃し行き遅れた娘に婿2人という関係だ。
 昨今、娘の結婚相手は親が探すのが常識(?)らしく、今回の場合も娘がこのまま行き遅れ、生涯独身で過ごすことになりはしないかと心配した親が密かに見合い相手を探したところ、実は娘には心を寄せる相手がいたらしい。
 ただ、この相手が今一つ煮え切らない男だったので、親が持ってきた縁談話を機に娘が「グズグズしていると私は他の男の所にお嫁に行くわよ」と決断を迫ったところ、相手の男が慌てて正式に結婚を申し込んきたというわけだ。

 まあ、この程度の話を「新見合い時代」(九州にもM&A時代の本格的な到来)とか「経済力こそ重要」(バイイングパワーがものをいう時代)などと大仰に書き立てたり、バカの一つ覚えのように言う方がおかしく、「栗野的視点」では取り上げる気もなかったが、ちょっと角度を変えると意外に面白い点が見えるので少し触れてみることにしよう。

 男と女の中が難しいのは波長がずれること。片方が秋波を送る時は相手にその気がなく、逆に相手がその気になった時はもう一方の熱が冷めている。
 今回でも先に秋波を送ったのはフタタの方で、その時はAOKIにその気がなく断っている。今度はAOKIの方がラブコールをしたけど、フタタにはすでに意中の人がいて肘鉄を食わされたわけだ。
 では、なぜAOKIが今頃になって一度振られた相手にラブコールを送ったのか。

 実は昨年辺りからいろんなところで「2007年問題」が取り沙汰されているのはご存じだろう。
 簡単に説明すると、戦後ベビーブームで生まれた団塊(だんかい)の世代が2007年から続々と定年で退職し始める。余談だが「団塊」を「だんこん」と発音する人が結構いる。いわんや女性が「だんこんの世代」などと言うと「男根の世代」と聞こえたりして、聞いているこちらの方が赤面してしまうのでくれぐれも発音間違いのないように。

 因みに統計学上で「団塊の世代」とは昭和22年〜25年生まれを指す。ただ、最近はもう少し広げて26、27年生まれまで含めて呼ぶ傾向があるようだが。
 その22年生まれが60歳の定年退職を迎えるのが2007年で、それ以降数年に渡って定年退職者が大量に出るわけで、このことが当初考えられた以上に市場に大きな変化をもたらしつつある。

 市場に与える影響という場合プラスとマイナスの側面があり、プラス面は従来のシルバー市場とは質的に異なる全く新しい市場の創出である。例えば高級ギターなどの楽器の売れ行きが急伸していることに表れているように、余暇とか趣味、旅行などのジャンルでプラス効果が現れている。
 一方、マイナス面が強調されたのは労働市場であり、「2007年問題」という言葉は主にこの分野で使われた。それまでは人件費削減の対象にされ、早期退職を強制されてきた団塊の世代が定年退職間近になった頃、大手企業はリストラ効果で業績が上向いていた。
 さて、これから前進と思った時に熟練者がいない。いないだけでなく、熟練の技が十分に伝え切れてないことに気付いたわけだ。
 車に例えればコスト削減、コスト削減で車重を軽くし、後部座席のシートも省き、ガソリンはひたすら安い物を入れていたので、いざフルスピードと思ってアクセルを目一杯踏み込んでみたもののスピードが全然出ないのに似ている。
 しかも、中国の技術力はどんどんアップしている。このままでは日本の技術的優位性さえ崩れるという危機感が大企業を中心に起きた。ただ残念ながら中小企業の危機意識はそこまでなく、2007年問題をそこまで深刻に捕らえていないのが心配だが。

 実はフタタを巡る争奪戦もこの2007年問題と無縁ではない。
団塊の世代が2007年以降少なくとも4、5年に渡って大量に定年を迎えるわけで、出勤しなくなればスーツにネクタイ姿は不要になる。当然、革靴も履かなくなる。これは紳士服業界にとって死活問題である。代わりにジャケットやセーター、替えズボンやカジュアルシャツが売れるかもしれないが、スーツの穴を埋めるほどではないだろう。
 そこで持ち上がったのが、一人扶持は食えなくても二人扶持は食えるではないが、取り敢えず結婚して世帯を一緒にして乗り切ろうというわけだ。
 しかし一緒に生活するといっても、それまで別々に生活していた2人が一緒になるのだからダブルものも結構ある。では、ダブった物は捨てるのか、それとも思い出があったりお気に入りのものもあるから取り敢えずそれらを持ったまま、家計だけ一緒にするのかという話になる。

 親にしてみれば結納金をしっかり出すと言っているAOKIに娘をやりたがっていた。しかし、娘にしてみれば結婚すればきっと自分の持ち物は二重になるからという理由で捨てられるのではないかと思っている。
 一方のコナカとはすでに半同棲生活をしていたので気心も知れているし、こちらは無碍に物を捨てなさいとは言わないに違いない。
 さて、親が勧める相手と結婚した方が幸せになれるのか、それとも多少煮え切らないところはあるが、すでに気心が知れている相手と結婚した方がいいのか、と悩んだ挙げ句、最終的にフタタが選んだのは結婚後も今の仕事を続けさせてくれるコナカだったというわけだ。

 問題は2007年問題、つまりパイの縮小をどの程度と捕らえているかだ。その捕らえ方いかんでフタタの今後の運命が決まるだろう。
 次回は創業者と2代目の確執、経営姿勢の違いという角度からフタタ問題を見てみる。


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