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読者からの投稿:賞味期限って一体なんだろうか。


 栗野的視点No103で「おかしいのは不二家だけではない!」を書いたところ、読者から以下のようなメールが届きました。
 関係があるところのみ抜粋して転載します。

         ☆          ☆

 何かを手に入れれば何かを失う。人間の知恵の限界を感じますよね。
 不二家事件で思うのは日本の変わりようです。私が若いころは「しめ鯖を食って中毒死」する事件が結構ありました。黒澤映画の『どですかでん』にも確かそんなシーンがありました。落ちたものは拾って食うのは当たり前、腐りかけたご飯はお湯を通して臭いを軽くして食べたものでした。
『食い物は注意をしなければ中る』が『食い物は安全なのが当たり前』に変わった高度成長期。時代が変われば常識が変わるという実感はぼくら団塊が一番実感できるのではないでしょうか。

 しかし、完璧が当たり前になった今、逆に一度ミスをするとよってたかって苛め抜く。なにしろ電車の乗り降りにもおせっかいをしてくれる母源病国家ですから。  
もっとも、不二家の場合はいじめられてもしょうがないやり口だったのはまぎれもない事実です。

                                      読者投稿:匿名

         ☆          ☆

不二家の話は、色々考えさせらえます。

そうですね、日本人の拘りが身動き取れなくしているのかもしれません。
ヨーロッパでは国によっては、利便性以外のことも考慮してコンビニの営業時 間を制限しているようですね。

利用率の低い時間帯はかえってコスト高になるでしょうから。それに、犯罪や不健康の温床というネガティブな面もあるでしょう。

しかし、グローバル化で地球の裏側との仕事も増えると24時間営業の需要は都会では増えるでしょうね。ただ、この手の議論は、定性的な物だけでなく、定量的な議論が必要でしょう。

食の安全も、不二家のように組織ぐるみとなると、影響は大きく会社の事業縮小は避けられ無いでしょう。

いったい賞味期限てなんだろうか。
牛乳に限れば、自宅で少々期限が切れても別に問題はなく飲んでいる。
また一日で急激に菌が増えたり、まして腐敗になるケースまで発展はしない。
多分、日常の生活では、その辺りの誤差は仮定してゆとりを持って賞味期限を設定している、根拠があるだろうから。

しかし、牛乳を使った加工品の賞味期限は新たに設定されるから、牛乳の賞味期限はどう考慮されるか。最終製品の安全係数(賞味期限)は材料各の加算、もしくは乗算になるので、個別の材料の賞味期限を越えることは確かに許されないはずだが、、。賞味期限を超えた原材料を使った商品の製造に法的取り締まりの意味は何処にあるのだろうか。新聞記事で、そこに触れている物は少ない。

不二家に限らず、ケーキ、パン、麺類の玉のケースなどが店裏に積んであったり、小さい食堂前には朝材料がビニールから透けて見えるように配達されていたり、、、。
ケースは消毒するし、火を通すのだろうけど、、。賞味期限よりもっと恐ろしい現場がなおざりにされている。

一方、有名なホテルやレストランで、安全には気を配っていると思われても、食中毒やノロウイルス被害が出る、、。

やはり落とし穴があるのでしょうね、、。安全の係数は、個々の係数のやはり乗算か、加算か、、。その科学的推定は、多分菌の発生や腐敗との因果関係を定量的に解析してきめているのだろうか。一方で、先の家庭の牛乳の感覚で、何処まで手を抜いても大丈夫か、という発想や経験的な知見で魔の手が近づいていても、特に組織としての成績や評価が頭をよぎると無視したいという別の魔の手が勝るのかもしれません。

便利さ、もうけ、安全、客の信頼、、諸々の中で、倫理観が少し妥協する事が人間の性でしょうか。組織ぐるみになったらやはり社会から葬られますね。

                            清水 肇
                            (財)新機能素子研究開発協会
                            東京都港区虎ノ門二丁目9番14号


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