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「なぜ、日本にビル・ゲイツが出ないのか」への読者のコメント(1)

 「なぜ、日本にビルゲイツが出ないのか」に多くの読者からコメントを頂いた。
 その中から今回はミツミ電機(株)九州事業所課長・井芹陽一さんとVIVID福岡・渕上一良さんから届いたコメントを紹介する。

「理念」がとても大事だと思う。

おはようございます。栗野さんの指摘、同感です。
アメリカ人は拝金主義者とばかり思っていたのですが、ビルゲイツの慈善活動表明には真にびっくりしました。また、さすがだなとも思いました。
栗野さんが文中で指摘されているように、私も「理念」がすごく大事だとおもいます。
ビルゲイツの仕事とは比較になりませんが、私どもの仕事でも、理念がない仕事はつまらないものです。

アメリカ人のスポーツ選手も慈善活動している人が多いですね。アメリカのPGAツアーで活躍している。
キムさんというプロゴルファーがいるのですが、顔はとても厳つくて、一見まともじゃないなと感じるのですが、彼はクリスチャンで、毎週礼拝には行くし、教会にも寄付を欠かさないそうです。
その結果でしょうか、かなり尊敬されていると聞きました。

その対極として、日本から参戦している選手はどうでしょうか。
真の状況を知りませんのでなんとも言えませんが、慈善活動に参加している方は少ないのではと思います。
ここの部分、根底に信仰の影響はないでしょうか。日本人は仏教、神道とありますが、真の意味で欧米人の宗教感と日本人のそれとは大きく違うような気がするのですが。

                                                 井芹



 井芹さんお久し振りです。
たしかに欧米人の宗教観と日本人のそれとは大きく違うと思います。
もう少し正確に言うとキリスト教と日本人の宗教観(多分に仏教と神道がない交ぜになっているので)ということでしょうが、私はある部分ではこれは我々(もう少し広くアジアまで広げてもいいかと思いますが)の長所だと思っています。

 世界3大宗教といわれるキリスト教、イスラム教、仏教の中で、宗教の名の下に他国を侵略したり、激しく改宗を迫ったことがないのは仏教だけではないでしょうか。
 そういう意味で私は仏教を非常に高く評価しています。
仏教の教え(ブッダの教え)はもっと理解されていいと思うのですが、キリスト教でいう牧師、神父に代わる仏教でいう僧侶の堕落に大きな一因があるのではないでしょうか。

 ただ、これほど優れた宗教なのに他の2大宗教に比べてどこか存在感が薄いのは、仏教には分かりやすい教義がないからではないかと思っています。
 仏教はとても哲学的です。
その部分が逆に仏教の理解を妨げ、広めにくくしているのかも分かりません。
むしろ欧米では仏教は非常に高く評価されているようですが、日本人の間で仏教が生活の規範にならないのはひと言でいえば僧侶の怠慢ではないでしょうか。
 この点で僧籍にある人、あるいは仏教会に近い人からの見解が欲しいところです。

 私はかつての日本人はとても助け合いの精神に満ちていたと思っています。
それはキリスト教、特にピューリタニズムが資本主義社会と慈善活動の微妙なバランスの上でなんとか精神の均衡を保っているのとは違い、慈悲に満ちたものです。
ここに仏教観が影響しているのかもしれません。

 近年の日本人ではメジャーリーグに行った野茂英雄投手に感心しました。
彼のしたこと(していること)はビル・ゲイツにも比肩するぐらいのことだと思います。もちろん金額的には比べようもありませんが。
 かれは2003年に社会人野球チーム「NOMOベースボールクラブ」を設立し、そのオーナーに就任しています。
 日本企業が業績の悪化から次々に社会人野球クラブを閉鎖していた頃です。
そのニュースに接し、社会人野球を守るために、というより恐らく野球文化を守るために、個人オーナーになったのです。

 野茂の収入を考えれば(特にマイナーリーグにいたこの数年)、ビル・ゲイツ以上でしょう。
日本人にもまだ彼のような人間がいるのです。
企業経営者は少し見習って欲しいものだと思います。

                                              栗野 良

暑い最中の清涼感をいただきました。
ありがとうございます。

「慈善活動をしない経営者は尊敬されない」という日本の風土、政治、経済、社会等について栗野的視点を書いていただきたいです。

もう一つ、考えて見たいことがあります。
「個人資産の大半をつぎ込み、慈善事業を活動の中心に据える」人は宗教的な教えと無関係ではないと確信しますがいかがでしょうか。

すると、日本では
「個人資産の大半をつぎ込み、慈善事業を活動の中心に据える」人は出てきにくいのではないでしょうか。

                                         VIVID福岡 渕上 一良


 渕上さん、お久し振りです。
おっしゃるように欧米人の慈善活動は彼らのキリスト教信仰と密接に関係しています。
 そのことについては文中でも触れていますが、直接労働の対価で得たもの以外は罪悪という意識があるようです。
特にピューリタリズムには。

 しかし、ラオスやミャンマーでは僧侶は非常に尊敬されているようですし、彼らはお布施でしか生活していないようです。
 彼らは日本語で僧侶と訳されていますが、どうも日本語の「僧侶」という言葉から受けるイメージとは随分違い、「尊敬する師」という意味のようです。
尊師以外の一般人は親であっても弟子になるらしく、無条件で尊敬される存在なわけです。

 そういうことから考えると、仏教的宗教観が慈善活動と無関係ということではなさそうです。
もう少し掘り下げてみたいと思います。

 またリエゾンの例会にもお出でください。


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